整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

モノと向き合うということ

大きなテレビは僕にとって必要なのか...。

6月からの半年間、そんなテレビと向き合い続けてきました。

今僕の家には24インチの小さなテレビがあります。

24インチ...すごく小さいです。

調べてみると、一人暮らしや寝室用に人気があるようで、たくさんの種類のモノが販売されているようです。

すごく小さいですが、見る分に関しては何の不便も無く、僕の生活に何の支障もきたしていないように感じています。

仕事から家に帰ってきてテレビを見る。

普段であればバラエティ番組を見たり、YouTubeで動画を見たり、最近であればサッカーW杯の試合を見たりしています。

仕事から帰った後は、社会からたくさんの刺激を受けているという事もあるので、何も考えずに見ることが出来る番組や動画を選び、なるべく負担にならないようにしています。

そうする事で、心地良い時間を過ごすことが出来るだろうし、次の日の準備にもなると考えています。

人によってはドラマを見たり、映画を見たりすることがストレス解消になる場合もあるのかもしれませんが、僕の場合はどうやらそうではないようです。

深く考えなくても、何も考えなくても笑える番組が僕には合っているようで、そんな番組や動画ばかり見ているように思います。

また、サッカーやラグビーという好きなスポーツ観戦であればさほど疲れた自分の負担にもならないように感じています。

そういった事もあり、仕事から家に帰った後の僕の生活には、テレビは欠かす事の出来ないモノになっているとともに、精神的にも肉体的にも疲れた僕の癒しのモノになっているのです。

そんなテレビですが、今僕が向き合っているのは大きなサイズのテレビをどうするかという事です。

正直、今の24インチのテレビでも何の問題もないように感じています。

画面のサイズが小さくても、見る分に関しては問題ないし、部屋の広さから考えると、あまり大きなサイズのモノを置いてしまうと、部屋が狭く感じてしまうのかもしれないとか考えています。

今の僕の生活には24インチのモノで十分間に合っているという事なのかもしれません。

そう考えると、大きなサイズのテレビは必要ないだろうし、僕にとっては無駄な買い物になってしまうのかもしれません。

ただ、物事と向き合う時には、悪い側面だけを見るのではなく、良い側面からも見ることも大切にしたいと考えています。

その物事の長所・短所の両側から見ることを大切にしたいと考えています。

僕は今、大きなテレビを買うかどうか迷っています。

恐らく、迷っているくらいだから欲しいと思っているのです...。

大きな画面でラグビーやサッカーを見ると迫力もあるだろうし、たまにするゲームも大きな画面でする方が臨場感があり、より楽しむ事が出来るのだと思います。

そういった側面も大きなテレビにはあるように思います。

大きな画面で見るラグビー、サッカー観戦は興奮するだろうと思います。今丁度行われているサッカーW杯も大画面で見る方が白熱する事は間違いないように思います。

これから正月にかけて行われる大学ラグビーもきっと大画面で見る方が楽しめるのだと思います。

そういった側面から見ると、大きなテレビは僕の毎日に彩を与えてくれるモノだろうし、スポーツをたくさん見る僕の生活スタイルには合っているモノなのかもしれません。

また、毎日テレビを見ているという観点から考えると、テレビを生かすことも出来ると思っています。

特に高価なモノでなくて構いません。

画質が抜群に良いとか、機能がたくさんついているとかは求めていません。

僕の身の丈に合っている価格帯のモノで良いと考えているし、それがどこのメーカーのモノでも良いと思っています。

大きな画面でテレビを楽しむ事が出来るのであれば、なんの問題もないと考えているのです。

調べてみると、43インチのテレビでも、最近は5万円出せば購入で出来るようです。

「すごい時代になったもんだな〜。」と思うとともに、簡単にモノを購入できる、増やす事が出来る時代でもあるのだなと思ったりもします。

僕のような心の弱い、物欲の強い人間からすると、過ごしやすい世の中なのかもしれませんが、反面、モノが増えやすい過ごしにくい世の中なのかもしれないとか思ってしまいます。

そんな心の弱い僕だからこそ、人よりもモノと向き合う事を大切にしないといけないのだろうし、モノを増やす事に慎重にならないといけないのだと思います。

そして、モノを増やす事に対して、時間を掛けて向き合う必要があると考えています。

僕にとって大きなテレビは本当に必要なのでしょうか...?

大きなテレビを生かす事は出来るのでしょうか...?

僕の生活スタイルに、大きなテレビは合っているのでしょうか...?

そもそも、43インチのテレビが5万円以下で購入できるのはお得かもしれませんが、僕の今の経済状況で、5万円を出す価値があるのでしょうか...?

誰かに聞いている訳ではありません...。自分に問いかけているのです。

それがモノと向き合うという事なんだと思います。

ボーナスの受給日まであと少し。

後悔の無いように、一つ一つのモノとじっくり向き合っていきたいと思います。

そして、心地良い暮らしに繋がるような、お金の使い方をしたいと考えています。

もうすぐボーナス

恐らく、僕は人よりも物欲が強い方だと思います。

他の人にどれだけの物欲があるのか知りませんが、最近の僕は常にモノを買う事ばかりを考えてしまっています。

というのも、年に2回ある例のあれが近づいてきているからです。

年に2回ある例のあれ...ボーナスです。

前回のボーナスが6月。それから半年が経ちました。

半年前の夏に貰ったボーナス。そのボーナスを貰った瞬間から「次は12月か~。」なんて考えていたように思います。

そしてそのボーナスが、僕の生きていく上での、大きなモチベーションになっているように思っています。

「12月になったら何を買おうか...。」

「次のボーナスを貰ったら美味しいモノでも食べに行こう...。」

そんなことばかり考えているように思います。

そんな僕はやはり物欲が強い方だろうし、たくさんの欲望を抱えながら日々生活をしているのだと思います。

他の人はどんな感じなのでしょうか...?同じようなものなのでしょうか...?

そんな僕ですが、この半年間はほぼ何もモノを買う事なく、モノを増やす事なく過ごすことが出来てきました。

もちろん、生活に必要なモノを買い足したりはしていましたが、所謂「大きな買い物」と言えるモノは1つもしていませんでした。

「いいな~。」「欲しいな~。」

と思うモノがあっても、「もう少し考えよう。」と一旦立ち止まり、じっくり考える事が出来たように思います。

それは本当に必要なモノなのか。

そのモノを生かすことが出来るのか。

自分の生活スタイルに合うモノなのか。

そういった事と向き合い、じっくり考える事をしてきました。

そして、そういった向き合う時間を取ることで、ほとんどのモノが「今必要ない。」と思えるモノばかりだったのです。

そして、「買うなら、冬のボーナスの時にもう一度考えよう。」という思考になっていました。

そんな冬のボーナスまで後2週間と迫っているのです。

ボーナスがもらえる時期になると「仕事をしていて本当に良かった~♪」なんて思たりしています。

そんなことばかり考えている僕は愚か者だろうし、いつまでたっても物欲の塊のような人間です。

でも、そんな自分をある程度はコントロール出来るようにはなってきているのです。

常にモノと向き合い、じっくり時間を掛けて考える事が出来るようになってきているのです。

因みに前回のボーナスを貰ってからの半年間、「欲しいな~。いいな~。」と思ったモノはたくさんありますが、その中でも「冬のボーナスを貰ってからもう一度考えよう」と思っているモノは以下のモノです。

以上の4点です。

まず一つ目の「鉄瓶」に関しては、間違いなく購入しようと考えているモノです。

毎朝コーヒーを飲む僕にとって、そのコーヒーを少しでも美味しく飲むために必要だと考えています。

基本、味の分からない僕です。今のステンレスの薬缶で淹れたコーヒーでも十分満足はしているのですが、更に朝の時間を充実させたいという思いから購入を決めています。

味以上に高価な鉄瓶でコーヒーを淹れるなんて「お洒落だな~。」と思うし、1ランク上の生活が出来ているという満足感も感じる事が出来ると思います。

そういった事もあり、購入する事を決めているモノなのです。

ただ、高価なモノでもあるので、冬のボーナスが入った時までのお楽しみに取っておいたモノです。

因みに、どうせ買うならという事で、南部鉄器の生産地である岩手県まで買いに行く計画を立てています。飛行機のチケット、宿の予約を済ませ、準備は万端です。

そうやって購入する事で、モノに「物語」を纏わせることが出来ます。そのモノに対する思いを高めることが出来るのです。

二つ目の「お掃除ロボット」に関しては、僕の生活スタイルに合うモノではないかと考えています。そして、お掃除ロボットを最大限生かすことが出来るのではないかとも考えています。

また、購入することで僕の生活が更に心地良くなるのではないかと思えているモノなのです。

僕は日々の「整理・収納」を意識して取り組んでいます。その生活では「視界から刺激を減らす」ということも意識的に取り組んでいます。

そういった事もあり、基本床の上には何も置かないようにしているのです。

脱いだ服が脱ぎっぱなし。

カバンが置きっぱなし。

読みかけの本が置きっぱなし。

そういった視覚からの刺激が多い状況にならないように気を付けて生活しています。

だから、お掃除ロボットを使う際には、何のストレスも感じることなく使うことが出来るのではないかと考えています。

掃除ロボットを使うために、片付ける必要もないし、それをする時間も必要無いのです。

掃除ロボットであるとは言え、床にモノがあった場合それを片付けるのは人です。それが出来ていない人にとっては、お掃除ロボットを使うためには、片付けるというひと手間が必要になります。

そういったひと手間があることで使用頻度は減るのではないでしょうか。

せっかく購入したにも関わらず、片付ける手間があることで、お掃除ロボットを使う頻度が減ることになるのです。それはお掃除ロボットを生かすことが出来ていない状況ではないでしょうか。

僕の場合はそれが無く、最大限お掃除ロボットを生かすことが出来ると考えているのです。

週末の休みの日に、掃除機をかける手間が減ることで、その週末に心地良い時間をたくさん取ることが出来るのです。

また、仕事の忙しい平日に埃があることを気にすることなく、存分に心地良い時間を過ごすことが出来るのです。

モノを購入する時、モノを増やす時には、こういったモノを生かすことが出来たり、自分の生活に合うモノかをじっくり考える事が大切だと思っています。

また、本当に必要なのかという事ともじっくり時間を掛けて向き合う事が大切になります。

僕の場合、必要かどうかを判断する基準は、そのモノを使う自分をイメージし、そのイメージがポジティブなものかどうかを判断基準にしています。

他にもこのボーナスを貰うタイミングで、「大きなテレビをどうしようか...。」と考えたり、「洋服も欲しいな~。」なんて思ったりしています。

本当に必要なのか、自分がそのモノを使ってポジティブなイメージを持つことが出来るのか、そのモノを生かすことが出来るのか、自分の生活に合うモノなのか、そういった事とボーナスの受給日までにじっくり向き合いたいと考えています。

無駄な買い物をしないように「整理・収脳」しながら、モノと向き合いたいと思います。

朝活

世間で言う「朝活」を僕は長い間続けています。

「朝活」と意識して続けている訳ではありませんが、かれこれ3年間位は続けているように思います。

1年前の9月からブログを書き始めた僕。

そのブログを書くのが、基本朝の時間です。

今まで41年間生きてきて、ブログを書いたことはありませんでした。

ブログは書くモノではなく、読むモノだったと考えていた僕が、ブログを始めようよと思ったのは、「整理・収納」の知識を深めたいと考えたからです。

ブログという存在を始めて知ったのは、高校生くらいだったように思います。

当時継続的に読んでいたのは、眞鍋かをりさんのブログでした。

独特な視点で物事を捉え、分かりやすい内容に面白さを感じていたし、その独特な視点に真鍋さんの聡明さを感じていました。

人に共感してもらったり、人に納得してもらう文章を書くにはセンスが必要だと思います。真鍋さんはそのセンスの塊なんだと思います。

一つ一つの言葉のチョイスであったり、例え話の使い方であったり、読んでいる人が「そうきたか!!」と思える文章を書くのが抜群に上手だと思います。

僕もそんな文章に憧れの気持ちを持っていますが、センスのない僕にはなかな難しく、いつもブログを書くことに苦労をしています。

でも、そんな僕でも、なるべく読んでいる人がいた場合の事を考え、読んでいる人にストレスを与えない、分かりやすい文章を書きたいと思いながら、ブログを書くよう努力しているつもりです。

そんなブログを書くのは、基本朝の方が良いと考えています。

朝のスッキリした時間にブログと向き合う事で、その書く内容にじっくり向き合う事が出来るからです。

仕事を終えてからの時間は、社会からの様々な刺激を受け、一つ一つの物事にじっくり向き合う事が出来ない状態だと考えています。

仕事でたくさんの刺激を受け、それがストレスになっている場合が多いように思います。

また、通勤や通学での人との関りにも無意識にストレスを感じている場合もあるように思います。

電車、バスに乗っている時、

自転車に乗っている時、

車の運転をしている時、

気付いていないかもしれませんが、知らず知らずの内に社会からの刺激を受け、その刺激からストレスを感じているように思います。

僕の場合、毎日バスに乗っていますが、そのバスの中でも小さな「イラッ」がいくつもあります。

立っている人がたくさんいるにも関わらず、座席に荷物を置いて2席分使っている人。

まだ目的地のバス停に着いていないにも関わらず、早くおりたいからなのか、バスが動いているにも関わらず移動しだす人。

そういった人を見ては、少しの「イラッ」を抱えてしまっています。

それが刺激となり、小さなストレスに繋がっているように感じています。

自転車に乗っていても、

歩きながらスマホを触っている人とぶつかりそうになったり、

横に広がって話しながら歩いている人がいて邪魔だなぁと感じたり、

すごいスピードのバイクとぶつかりそうになったり、

自転車に乗っていても、少なからずストレスを感じているような状況になっています。

僕が神経質で、小さな人間だからいけないのかもしれませんが、人は家から一歩外に出ると、少なからずそういったストレスを多少は感じているように思います。

気付いていないだけで、他にもたくさんあるように思います。

仕事や学校から家に帰って来た時には、そういったストレスを抱えている状況にあるのだと思っています。小さな事だから自覚していないだけで、無意識にそういったストレスを抱えている状況だと思います。

だから、夜の時間は何かにじっくり向き合うには向いていない時間だと僕は考えているのです。

何も考えずに出来る事を夜の時間に行うべきだと考えています。

洗濯物を干したり、乾いた洗濯物を畳んだり、お風呂に入ったり、テレビを見たり、

そういった何も考えずに出来る事をする時間にする方が良いと思っています。

そして、ストレスを抱えている夜の時間は早めに切り上げ、なるべく早く寝る方がいいと考えています。

僕はほぼ毎日21時には寝るようにしています。

早寝早起きを習慣化しているという事もあり、21時に布団に入るとすぐに眠りにつくことが出来るようになっています。

仕事や通勤で抱えたストレスを布団の中に持ち込まず、寝る事に専念する事が出来ています。

きっと早寝早起きが習慣化されていることで、帰ってからの時間の使い方が上手になっているのだと思います。

過去の僕は、たくさんの時間を布団の中で使っていました。

布団に入ってからスマホを触ったり、テレビを見たり、本を読んだり、ゲームをしたり。

寝るという行為をするために布団に入っているにも関わらず、違う事をして時間を無駄に使っている状態でした。

そして、気付いた時には目が冴えている状態になり、眠れない状況に陥っていました。

そしてそういった眠れない時間に考えてしまう事と言えば、攻撃的な事ばかりだったように思います。

ストレスをため込んでいる状態という事もあり、誰かに対する不満であったり、自分に対しての不満であったり、今思うとかなりやばい状態だったように思います...。

そんな夜の時間の使い方は間違っているだろうし、有意義な時間の使い方ではないと思います。

だからこそ、攻撃的になっている夜の時間をなるべく早く切り上げ、心の落ち着いた朝の時間を大切にすべきなんだと考えています。

もともと朝型だった僕ではありますが、今のような明確な朝型を確立したのはここ3年くらいだと思います。

早起きをしている事に無理をしている感じはなく、タイマー無しで自然と4時前後には目が覚めるようになっています。

朝起きたら薬缶に火をかけ、パソコンの電源を入れてからトイレに行ったり顔を洗ったりします。貴重な朝の時間を無駄なく使うようにしています。

そして、スッキリした状態になってからブログを書くようにしています。

僕はブログを書く時間は、自分と向き合う時間だと考えています。

「整理・収納」をテーマに、その知識を深めるだけでなく、自分にとって「整理・収納」とは何なのか、「心地良く暮らす」ためにはどうすればいいのかという事と向き合う時間だと考えています。

真鍋さんのように上手にまとめることは出来ていませんが、それなりに自分の考えを書くことが出来ているかな〜と思ったり思わなかったり。あくまでも自己満足ですが...。

文章力に自信のない僕が継続して続ける事が出来ているのは、朝の時間を有効に使えているからだと思っています。

「朝活」なんて言葉が流行っていますが、ある意味僕がしている事は「朝活」なのかもしれません。

僕が今している「朝活」が、僕の生活にどれだけの影響力を与えているのかは分かりませんが、今の僕にとっては欠かす事の出来ない時間になっています。

朝の時間を有効に使えるように、これからも早寝早起きを大切にしていきたいと思います。

 

明日はサボるかもしれないけど...

「今日くらい良いか...」を乗り越えながら、毎日を丁寧に生きる事を心掛けています。

「明日はサボるかもしれないけど、今日はサボらずに頑張ろう。」

そんな事を考えながら1日1日を乗り越えています。

その積み重ねが、自分を理想の自分へと近づけるのだろうし、

その積み重ねが、毎日の心地良い暮らしを自分に保障することが出来るのだと思います。

何かをサボる時、そのサボっている時だけは心地良さを感じる事が出来ます。

例えば、毎日腹筋することを習慣化している僕。

1月1日から始めた腹筋生活もかれこれ11ヶ月以上が経ちました。

この11ヶ月間、何度も「今日くらい良いか...」に襲われてきました。

仕事や飲み会で帰宅時間が遅くなったとき...。

旅行に行ったとき...。

背中のデキモノを除去する手術をしたとき...。

流行り病に罹ったとき...。

何度も「今日はもう良いかな...。」と思う瞬間があったように思います。

きっと、今までの僕であれば、何か理由を見つけては、しない選択をしていたように思います。

帰宅時間が遅くなったんだから仕方ない。

旅行中くらい腹筋の事は忘れて、全力で旅行を楽しもう。

体に縫った跡があるんだから、無理はしない方がいい。

あの流行り病に罹っているんだから、無理はしないでおこう。

そんな思考になって、しない選択をしていたように思います。

そして、しない選択をしたその時だけに心地良さを感じていたのだと思います。

毎日すると決めた腹筋をせず、他の事を優先して心地良さを感じる。

早く寝ることであったり、旅行を楽しんだり、テレビを見てごろごろしたり...

そしてそんな判断をして、心地良さを感じた自分は、その後に必ず後悔を抱えてしまう事になります。

早く寝たことにより、その眠りについている時間は心地良さを感じる事が出来ます。でも、翌朝起きた時にしなかった後悔を抱えてしまいます。

旅行を楽しんでいる時、その時には心地良さを感じる事は出来ます。でも旅行を終え、家に帰ってから、しなかった後悔を抱えてしまいます。

テレビを見ている時、その時には心地良さを感じる事は出来ます。でも、テレビを見終えた後、しなかった後悔を抱えてしまいます。

僕がしている腹筋は10分あれば終わる程度のコトです。

その10分を優先することなく、他の事を優先してしまう。

早く寝たいと言っても、10分くらいであればそれなりに強い意志があれば行うことは出来ます。

旅行を楽しむと言っても、分刻みのスケジュールを組んでいる訳ではありません。10分程度の時間は何とでもなります。

テレビを見ながらでも腹筋は出来ます。なんだったらいつもテレビを見ながらしているくらいです。

背中を縫った直後でも、流行り病に罹っていても、その気になれば出来るように思います。

だから、結局は出来ないのではなく、しようとする意識が低いだけなのだと思います。

何か理由を見つけて、それを都合よく解釈し、自分を納得させるために、自分に言い訳をして、しない選択をしていただけなのです。

僕は今までそんな事をたくさん経験してきました。

そしてそんな僕は絵に描いたような三日坊主人間だったように思います。

そして、そんな三日坊主人間だったことにより、僕は自分に自信を持つことが出来ていなかったし、そんな自分が好きではなかったのだと思います。

「今日くらい良いか...」という思考が常にあり、決めたことを続ける事が出来ない自分に魅力を感じていなかったのです。

そんな自分は、いつも自分を否定的に見ていたし、何をしても自信を持つことが出来ていなかったように思います。

若かりし頃の僕は、自信を持っていたのは上辺だけで、本当の自分、心の底にある自分は全くそんなことなかったように思います。

自信があるように見せかけて、本当の自分は心の弱い、自分の事が好きでない人間だったように思います。

そんな自分だったのは「今日くらい良いか...」の思考をあらゆる場面で抱えていたからだと思います。

そんな僕も、腹筋生活に関しては習慣化することができ、この11ヶ月間サボることなく、妥協することなく続ける事が出来てきました。

それは、一つ一つの「今日くらい良いか...」を乗り越える事が出来たからだと思っています。

眠い時も、楽しい事が他にあっても、テレビが見たくても、背中が痛くても、高熱が出ていても、「今日くらい良いか...」と考えるのではなく、

「明日はサボるかもしれないけど、今日はサボらずに頑張ろう。」という思考を大切にしながら乗り越える事が出来ました。

そしてその経験が、その後も続ける事が出来る事に繋がっているのだと思います。

サボりたくなった時に「背中を縫った直後でも頑張ることが出来たんだから」と思えたり...

サボりたくなった時に「コロナに罹っても頑張れたんだから。」と思えたり...

そんな一つ一つの経験が「今日くらい良いか...」を乗り越える力になっているのだと思います。

先日の宿泊学習では、いつもよりずっと寝る時間が遅くなりました。そしていつも以上にイライラを抱えた2日間でした。

でも、そんな宿泊学習中も腹筋を行うことが出来ました。

それがまたこれからも続けるモチベーションになっています。

あれだけ眠くても、イライラしていても出来たことは僕の「今日くらい良いか...」を乗り越える力になったように思っています。

そしてそれは腹筋だけに限らず、生活の全ての場面で生かす事の出来る力だと考えています。

これからも「明日はサボるかもしれないけど、今日はサボらずに頑張ろう。」という思考を大切にしながら生活していきたいと思います。

そしてそれを、僕の考える「心地良い暮らし」に繋げたいと思います。

正しい判断

昨日から宿泊学習に行ってました。

先程帰宅し、結構な疲れを抱えています。

いつも21時には寝る僕でありますが、昨日の就寝時間は24時。

普段の僕ではあり得ない時間まで起きていました。

こうなることは予想出来ていたし、ある程度のシュミレーションをしながら宿泊学習に臨んでいたように思います。

宿泊学習に出発する前日に、僕にとっては凄く魅力的なモノがありましたが、ある程度シュミレーションをしていたことで、その魅力的なモノを諦め、宿泊学習に臨んでいました。

その魅力的なモノと言うのが...サッカーW杯、日本代表対ドイツ代表の試合です。

スポーツ観戦の好きな僕。特にラグビー観戦が好きですが、その次に好きなのがサッカーの観戦です。趣味の少ない僕にとって、ラグビー観戦とサッカー観戦は唯一の趣味と言えるモノなのかもしれないと思っています。

そんな好きなサッカー観戦。しかも4年に一度あるW杯の初戦、相手は強豪のドイツ代表。見ない訳にはいかない試合だったように思います。

しかし...試合開始時刻が22時...。

いつも21時には夢の中にいる僕。

22時から試合が始まると、試合終了時刻が24時を回ることになります...。

しかも、次の日からは宿泊学習があります...。

子どもたちにとって初めての宿泊学習という事もあり、慣れない事も多くあるだろうし、不安も多く抱えている事だろうと想像できます。

どれだけ僕たち大人が準備をしていたり、子どもたちに説明をしていたとしても、思っている通りに事は運ばないだろうし、不測の事態は多く発生することが予想できます。

そんな時に担任の僕が、目を真っ赤にし、寝不足のむくんだ顔でいると、きっと不安も増す事だろうと思います。

そして、そんな状態で宿泊学習に挑むことで、僕自身がしんどくなるように思いました。

ここで言うしんどいというのは、体力的な部分だけでなく、精神的な部分でもしんどさを抱えてしまうという事です。

思い通りに行かないことでイライラしてしまったり...

テンションアゲアゲ状態になって話を聞かない子どもたちを見て、少しイラっとしてしまったり...

夜早く寝れない事にイライラしてしまったり...

たくさんのイライラを抱えてしまう事に繋がってしまいます。

そして、そんなイライラを抱えている自分に対しても、否定的な感情を抱えてしまう事になってしまいます。

宿泊学習がある...。

サッカーW杯の日本代表の試合がある...。

両方とじっくり向き合った結果、僕は仕事である宿泊学習を優先することにしたのです。

いつも通り21時には布団の中に入り、その5分後にはスヤスヤと夢の世界に入る事が出来ていたのです。

宿泊学習を終えて、先程帰宅しましたが、その選択に間違いはなかったと思っています。

予想通り、子どもたちは初めての宿泊学習という事もあり、大半の子が終始テンションの高い状態で過ごしていました。

話を聞けない状態だったし、そんな状態だからか、同じことを何度も聞きに来られることが頻繁にありました。

その度に、イライラしていたし、血管が切れそうになる瞬間が何度もあったように思います。

そして案の定、夜遅くまで話し声が聞こえていたり、咳が止まらない、鼻が詰まって眠れないと言いだす子もいる状態になります。また、少し熱があるかもという子も出だし、その対応に追われる状況になってしまいました。

そしてその結果、予想通り早く寝るコトが出来ない状態になってしまったのです。

もちろん仕方ない事だとは思います。

それが仕事だし、そういった事も分かったうえで宿泊学習に臨んではいます。

ただ、もし僕が前日のサッカーの試合を遅くまで見ていたらと考えると、同じような精神状態で対応する事は出来ていなかっただろうと思います。

話を聞かず、言ったことを何度もも聞きに来られる状態。

早く寝たいのに、子どもたちの対応でそれが出来ない状態。

そういった状態に耐える事が出来なかったように思います。

話したことを聞いておらず、聞きに来る子がいた場合。きっと僕はその人数分ドロップキックをお見舞していただろうと思います。

早く寝たいのにそれが出来ない状態。きっと僕は部屋の鍵を閉めて、誰も入ってこれないようにしていただろうと思います。

部屋に呼びに来られていたとしても、耳栓をして気付かないふりをして深い眠りについていただろうと思います。

危ない所でした...。

もし僕が前日の夜に大好きなサッカー観戦を優先していたとしたら、そういった状況になってしまい、今の僕は職を失う事になっていたのかもしれません。

そう考えると、僕は正しい決断をしたし、まだまだ人として捨てたものではなかったのだなと思ったりします。

昨日の朝、一緒に行く同僚が浅野選手のジャガーポーズをしながら出社しました。

「先輩見ました?熱かったっすね!!」と目を真っ赤にしながら話してきます。

その同僚曰く、試合を見た後は興奮して眠れず、その後のスペイン対コスタリカの試合まで見てしまったとのことです。

「なんて意識の低い人なんだ...」と半ば呆れながらその同僚を見てしまっていましたが、その同僚のキャラもあり、許してしまっている自分もいます。

見ていない事を伝えると、「非国民だ!!」なんて笑いながら言われる始末でした。

でも、見なかったことに後悔はないし、僕なりにじっくり向き合った上での判断だったので正しい判断が出来たと思えています。

生放送で見なかったことによる興奮や感動を味わう事は出来なかったのかもしれませんが、見なかったことにより「心の余裕」を持つことは出来ました。

その「心の余裕」があったからこそ、何事もなく帰宅することが出来たし、明日からの心地良い暮らしも継続することが出来るのだと思います。

もちろん見ていたとしても、ドロップキックをしたり、部屋に鍵を閉めて気付かないふりはしません。

ただ、もっとイライラしていただろうし、後悔をたくさん抱えながら帰宅していただろうと思います。

そう考えると、僕の先日の「整理・収脳」は上手に出来ていたのだと思います。

そしてその成功体験が、僕の「整理・収納」生活の精度を上げていくのだろうし、その生活のモチベーションを上げていくことが出来るのだろうと思います。

今回出来た正しい判断。これからもそんな判断が出来るように「整理・収納」を大切にしていきたいと思います。

大きな決断

大きな決断をする時には、たくさんの負担が自分にのしかかって来ることになります。

その決断をするのに時間が掛かったり...

不安を抱えたり...

決断した後の事が心配になったり...

頭の中が、その決断しなければならない事で支配されるような感じになってしまいます。

そんな状態の自分は、何をしても手につかなくなり、取り組むべき事に100%の状態で向き合う事が出来なくなっている状態のように思います。

昨日の投稿の集中することに繋がる事でもありますが、頭の中に大きなモノを抱えてしまう事で、本来しなければならない事に支障をきたしてしまう状況になってしまいます。

朝起きてブログを書いていても、そのことを考えてしまっていたり...

仕事をしていても、そのことを考えてしまっていたり...

本を読んでいても、テレビを見ていても、そのことを考えてしまっていたり...

目の前にあることに100%で向き合う事が出来ていない状態になってしまいます。

僕は日々の「整理・収納」を意識して取り組み、それを「整理・収脳」に繋げるようにしています。

目の前にある、目に見えるモノを必要なモノだけにし、それを思考にも繋げるようにしています。

目の前からモノが減ることで、視覚的な刺激を減らす事ができ、それが心を落ち着ける事に繋がり、「心の余裕」を持つことが出来ます。

そういった「心の余裕」を持てることにより、本来しなければならない事や、自分が大切にしたい事が明確になり、シンプルに生きる事が出来るようになります。

頭の中に余計なモノを抱えず、しなければならない事に100%の状態で向き合う事が出来る。常にそういった状態に自分を置けるようにしたいと考えています。

「整理・収納」を意識的に取り組む事が出来ていることで、僕の思考はずいぶんシンプルになっていると思っています。

そして、生活もシンプルになっているようにも思っています。

朝決まった時間に起床し、家に帰る時間も大きくズレる事はありません。寝る時間も決まった時間に布団に入ることが出来ています。

人によっては「なんてつまらない生活だ!!」なんて思うかもしれませんが、僕にとっては今の生活が心地良いし、この生活をこれからも維持していきたいと考えているのです。

そんな今の生活を大切に出来ているのは、「整理・収納」が出来ているし、それを「整理・収脳」に繋げる事が出来ているからだと思います。

そんな僕ではありますが、大きな決断をするという事を抱えている時には、中々そのペースを守ることが出来なくなってしまっています。

目に見えるモノの「整理・収納」に関しては、いつも通りコントロールすることが出来ているように思います。

不要なモノを増やすことなく、定位置管理もしっかり行うことが出来ています。

問題は頭の中の「整理・収脳」です。

本来すべき時間にすべきことをしようとしても、大きな決断が頭の中を支配するようになっていす。

そういった状態では、本来しなければならない事の質が下がってしまいます。

そして、それはその事だけでなく、その後にしなければならない事にも悪い影響を与えてしまう事になってしまいます。

その負の連鎖が、自分の心地良い時間に悪影響を与えてしまい、自分の大切にしている生活が出来なくなってしまうようになります。

ここ最近の僕は、そんな負担を抱えながらの生活をしていました。

何をやっても集中することが出来ておらず、何をしても心ここに在らずの状態だったように思います。

そんな時の自分は何をしても質の低い事をしていただろうし、そんな状態で取り組んだモノの仕上がりの質は決して高いモノとは言えないモノだったように思います。

もちろん、失敗だらけだったわけでもないし、大きなトラブルがあったという訳ではありません。

ただ、100パーセント心地良い生活が出来ていたかと言うと、決してそんな状態ではなかったように思います。

先日、その大きな決断と決着をつける事が出来ました。

不安もあったし、心配もたくさんありましたが、いざ決断して見ると、時間が経つにつれ不安や心配は少しずつ解消されているように感じています。

人が抱える不安な事や心配な事と言うのは、思っているほど大きなモノでもないのかなと思ったりもします。

大きな決断と思っていたけど、それは意外と大きなモノではなく、意外と小さな決断だったのかもしれません。

そう考えると、ここ最近の僕は抱えなくていい負担を抱えていたことになるのだと思います。

自分の大切にしたい生活を犠牲にしながら、たくさんの抱えなくても良い負担を抱えていたことになるのです。

もったいない事をしていたなと思うとともに、自分の未熟さを改めて感じる事が出来たようにも思っています。

人が抱える不安や心配は、自分が思っているよりも小さいモノなのだと思います。

そう考えて物事と向き合う事は、僕が理想としている「肩の力を抜いて生きる」事にも繋がる事だと思います。

大きな決断と思ってしまう事に対しても、「大丈夫。」「何とかなる。」と肩の力を抜きながら考える事が出来る事で、その負担を早く解消することが出来るようになると思います。

それももしかしたら「整理」することなのかもしれません。

そして、そういった思考が「整理・収脳」に繋がるのかもしれません。

これからも大きな決断をしなければならないシチュエーションはたくさんあると思います。

そんな時に、大きな決断と考えるのではなく、小さい事と考え、肩の力を抜きながら、その決断と向き合いたいと思います。

その思考が、僕が毎日を心地良く暮らせる事に繋がると思っています。

集中力

スポーツ観戦が好きな僕。

特にラグビーとサッカーが好きで、サッカーワールドカップが開催されている今は、家にいる時間はほぼテレビを付けて試合を観戦したり、特番を見たりしています。

祝日の今日も早起きをし、フランス対オーストラリアの試合を見ながら、朝の時間を楽しんでいます。

そして今日は、ラグビー伝統の一戦早稲田大学対慶応大学の「早慶戦」があります。

今年の早慶戦は100回目というメモリアルな試合であり、白熱した試合展開を期待しています。

そんなスポーツをよく見る僕ではありますが、スポーツを見る時の醍醐味は、接戦の中での緊張感のある展開だと思っています。

どちらが勝つか最後まで分からない展開、主導権が次々に変わる展開、手に汗を握る展開が僕にとってはたまらない、興奮の時間になるのです。

必死に試合に臨む選手たち。その必死さや一生懸命さに心を打たれるとともに、接戦の中での緊張感にも心を打たれています。

僕自身スポーツを長くしていたという事もあり、そういった接戦の中での緊張感はある程度経験することが出来ました。

テレビで見る選手のような高いレベルでの接戦を経験することは出来ていないのかもしれませんが、そこそこのレベルでの接戦を経験することは出来たと思っています。

そういった接戦の中での集中力は、普段とは全く質の異なるモノになっていたように思います。

試合中に疲れを感じることもなく、ただただ目の前のやるべき事だけに集中している状態です。

何度か経験したことがあるのですが、そういった状態になっていると、試合終了の笛と同時に疲れが一気に襲ってくるような感じになってしまいます。

今までの気付いていなかった、感じていなかった疲れが一気に押し寄せてくる感じです。試合に集中していた状態から、一気にその集中力が切れてしまう状態でした。

試合終了の笛と同時に倒れ込む。そういった事を何度か経験したことがありました。

そしてそういった状態のときは、接戦が多かったように覚えています。

「絶対に負けたくない。」

「こんなところで終わりたくない。」

そんな強い気持ちが極限まで集中力を高める事が出来ていたのだと思います。

そして、そういった極限まで集中力を高める事が出来た時に、自分の本来持つ力を最大限引き出す事が出来ていたのだと思います。

そういった状態だからこそ、人の心を掴むプレーが出来るのだろうし、見ている人に感動を与える試合を展開する事が出来るのだと思います。

自分の力を最大限出すためには、高い集中力が必要になるという事なのだと思います。

そしてそれは、スポーツだけに限られたことではないと僕は考えています。

仕事であったり、勉強であったり、趣味であったり、一つ一つの物事にも当てはまる事だと考えています。

僕が仕事で自分の力を最大限発揮するためには、いつでもその仕事に集中できる状態にしておくことが必要なんだと思っています。

そういった状態にするためには、強い意志を持つことが必要だろうし、そういった意志を持ち続ける事が出来る環境を整えておくことが必要になると思っています。

そうすることで、その取り組む事に集中することができ、自分の力を最大限引き出すことが出来るのだと思っています。

今回のワールドカップでは、もうすでにグループステージの何試合かが消化されています。

ワールドカップという事もあり、選手たちはいつも以上の集中力を持ちながら試合に挑んでいるように思います。

ただ、その何試合かを見ていると、大差になっている試合も何試合かあり、その試合に限っては特に大差がつき出した試合終盤に選手たちの集中力が途切れてしまっているのではないかと感じてしまいます。

サッカーの競技経験のない僕が偉そうに言える立場ではないのは重々承知しています。

選手に対するリスペクトも忘れた訳ではありません。

でも、どうしても大差がつく試合を見ていると、試合終盤の選手のパフォーマンスは落ちているように思うし、それはリードしている側の選手、されている側の選手も関係なく落ちているに思います。

それは、大差がついたことにより、集中力が途切れているからではないでしょうか。

そりゃ当然だと思います。

ボクシングの試合で、圧倒的に自分がぼこぼこにされてしまい、圧倒的な力の差があることが分かったら、戦意喪失の状態になるように思います。

僕であれば、「もう無理...」なんて簡単に思うだろうし、「早くタオル投げてくれ...」なんて思っている事だろうと思います。

ワールドカップに出場する選手に僕のようなメンタルの弱い選手は絶対にいないと思いますが、大差がつくと少なからず集中力は切れる状態になるのではないかと思います。

どうしても、「絶対に負けたくない。」「こんなところで終わりたくない。」という気持ちを持っている時の集中力と比べると、その集中力は低下しているように思います。

だから僕は日々の生活の中で、そういった状態にならないように気を付けたいと思っています。

自分が何かに取り組む時には「絶対に無理...」と思ってしまうような状態にしないようにしたいと思っているし、そのために常に頭の中でその取り組む事のシュミレーションを行い、準備しておくことが大切だと思っています。

期限があるモノをほったらかしにしていて、期限ぎりぎりになってから取り組むとその物事に対する質は下がると思います。

それは無意識にネガティブな感情を持ってしまっているだろうし、そのネガティブな思考が集中力を奪ってしまっているのだと思います。

だから僕は常に「整理・収納」を徹底して行い、常に「整理・収脳」が出来るような状態にしておきたいと考えているのです。

物事の取り組みの質を上げる事は、その物事の仕上がりの質を上げる事に繋がります。

そういった状態にするためには、その物事に取り組む際の集中力が大きなカギになると考えています。

「もう無理...」と思ってしまう状態にするのではなく、

「質の高いモノにしたい...」

「この仕事を成功させたい...」

と思える状態、仕事における接戦になるような状態にしたいと考えています。

体重管理も同じで、ある程度コントロールしておくことで、取り返しのつかない状況を避けたいと思っているのです。

「もう無理...」と思ってしまう体重にしないように、体重管理に対する集中力を切らさないように、体重に関しても「整理・収脳」していきたいと思っています。