整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

地獄の中のオアシス

僕が整理収納に興味を持ち出したのは前にも投稿した通り、佐藤可士和氏の「超整理術」という本との出会いがあったからです。

佐藤氏の考えや実践に感銘を受け、今の自分の生活や働き方に大きな影響を与えてくれています。

でも思い返してみるとそれ以前にも自分の中に整理収納の種のようなものが備わっていたのかもしれないなということをふと思い出しました。

投稿にちょくちょく出てくる通り、僕は中学2年生から9年間ラグビーをしていました。ラグビーを通して人として大きく成長させてもらえたと思っています。

高校、大学では夏休みに合宿があるのですが、この夏合宿は本当に辛く、肉体的にも精神的にも極限まで追い込まれる、俗にいう「地獄の合宿」でした。

高校1年生で初めてラグビー合宿の聖地、長野県の菅平高原に行ったのですが、3週間もの長期間の合宿。親元をそんなに長く離れたことのない甘えん坊な次男坊の僕ちゃんは多くの不安を抱えながら大阪を出発したのを覚えています。

バスに揺られること5、6時間だと思いますが、合宿所についたその日から練習は始まりました。(到着したその日はゆっくりできるとかお気楽なことを考えていましたが、そんなに甘くはないですよね…。)

次の日からは午前6時から走り込み、そこからのタックルやぶつかり合いの激しい練習。昼ご飯休憩が終わったら午後からは練習試合が組まれています。(菅平では夏休みになると全国からたくさんの強豪校が集まり、練習試合が毎日のように組まれます。)

更に1年生は練習の合間や少しの休憩時間、食後にも雑用が入ってきます。(練習の準備、洗濯物、食事の準備、片付けのお手伝いなどなど)洗濯をして就寝できるのは12時を回ることもありました。

今までぬくぬくと育ってきた僕が初めて出会った厳しい環境といっても過言ではない状況に何度逃げ出してやろうかと考えたことか…。

そんな毎日が3週間も続くのです。

「もう一度あの合宿を経験できる?」と嫌がらせのようなことを言われたら即答で「NO!!」と答えます。もう秒で答えちゃいますよ。

あの時は目の前にある一日一日を必死に乗り越えるだけだったように思います。そう考えないと絶対に乗り越えることが出来なかったと無意識に思っていたのだと思います。

そして、2年生になった僕。合宿の時期が近付くにつれ、色んなことを考えだしていきます。「今年も菅平か~。はぁ~。」や「合宿な~。はぁ~。」などのネガティブなことばかりを考えていました。それは僕だけでなく他の部員もきっと同じ気持ちだったように思います。(夏休み前はわくわくではなく憂鬱でした。)

でも、一度経験した地獄の合宿。同じ地獄でも、少しでも快適に過ごすことはできないかと考えることもありました。そうして考えたのが、部屋で過ごす自分のスペースを快適にすることでした。

そして行ったのが3年生に許可をもらい押し入れ前のスペースをキープすることです。布団を全部出した後、その空いた押し入れのスペースに自分の練習着や下着、タオルなどを全て分類しながら並べるようにしたのです。そして次の日に着る練習着は枕元に置くということを行いました。

練習で疲れている中、そんなマメなことをする部員は僕以外に一人もいなかったように思います。僕はひそかに押し入れを「収納棚」にしていたのでした。

この押し入れ作戦は様々な場面で効果があったように思います。まず、モノがなくなりにくくなりました。70名近くの部員との共同生活。練習で疲れた荒くれ者たちの中、合宿中はモノがなくなることは当たり前でしたが、そんな中僕のモノはそんなになくならなかったように思います。

そして、明日の準備が整っているため、練習開始ぎりぎりまで睡眠をとることが出来ていました。

このように高2の頃から僕は合宿があるたびに押し入れの前をキープし、僕だけの収納棚を作ることで地獄の中に少しだけのオアシスを作ることが出来ていたのでした。

ふと思い出してブログに投稿しましたが、これって立派な収納なんですよね。収納とはモノを使いやすくすること。それは日々の暮らしを快適に過ごすために行うことです。

当時の僕は少しでも快適に過ごしたいと思い何となくで始めたこと。

人によって様々な生活環境があると思います。その中で、どんな環境でも少しでも快適にしていく。そのために整理収納を行う。そうすることで人って少しは救われるように思います。

16歳の僕の中には整理収納アドバイザーの種があったのです。その種からきれいな花を咲かせることが出来たらいいなと思っています。