整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

そもそもに気付く

「そもそもに気付ける」ことって結構難しいことだなと思います。

忙しい毎日、何かに追われながら生活している人がほとんどだと思います。

また、様々な人との関りの中で生まれる刺激により、その「そもそも」が見えにくくなっているように思います。

今月の僕は今年度の中で恐らく一番忙しい一ヶ月になっています。コロナ禍の影響により大きな行事が月末に2つ重なってしまっているからです。

そんな中、昨日あることに気付かされました。

それは、僕の関わる子どもたちとの関りの中で気付かされたことです。

一つの教室をメインに生活をするたくさんの子どもたち。様々な個性を持った子どもたちがそこにはいます。

このブログでは「整理・収納」のことをメインにして投稿しているので、そこに注目して書かせてもらいますが、持ち物の管理が得意な子・苦手な子、収納が上手にできる子・そうでない子。様々な子どもたちがいます。

たくさんの子どもたちがいるのだからそういった状況になるのは当然だと思います。それは大人の社会でも同じです。

でも、最近の僕と同じように、2つの大きな行事を控えた子どもたちも忙しかったのだろうと思います。あれだこれだと頭の中がパンパンになっていたのだろうと思います。

そんな状況の中で必ず起きるのが、「モノが教室の中に散乱しだす」という現象です。

最近の僕は毎日のように「これ誰の給食袋や~?」や掃除の後に「雑巾戻してないな~。」などの小言を言っています。また、鉛筆や消しゴムなどの細かいモノなどがたくさん私の元に届くようになっています。

忙しい僕はそんな状況にイライラし、そんな僕の様子を見て子どもたちは「そろそろやばくね!!」といった変な緊張感を纏っています。(といっても僕はそこまで鬼のような教師ではありませんよ。たぶん...)

そして、あるモノが出しっぱなしの状況の中、とうとう僕の堪忍袋の緒が切れたことにより、話し合いの時間を取ることになったのです。しかも、今回は子どもたちだけで話し合うようにしました。

今の状況の何が問題なのか。どうすれば防ぐことが出来るのか。他人事になっていないか。などを中心に話すよう指示を出しました。

どんな話をしていたのか、隣の空き教室にいた僕には分かりませんが、様々な子どもたちが意見を出し合っていることは伝わってきました。

2時間の貴重な授業の時間を使うことは、学力保障の観点から考えるとあってはならないことかもしれません。人によっては、学ぶ子どもたちの権利を教師が奪っていると言われてもおかしくないのかもしれません。

でも、長い目で考えるとこういった時間も子どもたちにとっては必要なものだと僕は考えています。それが目に見える良い結果としてすぐに現れないかもしれませんが、意味のない時間にはならないように思います。こういった積み重ねの時間を僕は子どもたちに大切にしてほしいと思っています。(因みに、授業も順調に進んでいるという余裕もあります。)

さて、2時間の時間を使った子どもたち、空き教室にいる僕に声を掛けにきました。そして、この状況を改善するために話し合ったことを伝えてくれました。

改善策の中にはみんなで声掛けを行うことや自分事として考えること、現実的でない対処法なども話してくれました。たくさんのことを自分事として話したのだなということは伝わってきました。

そして、一番印象に残ったことが「そもそもこうであった」ということを話の要所要所で言っていたことでした。「そもそも学校でそれをするのはおかしい」や「そもそも使わないのに机の上にあることがおかしい」といったことをたくさん言っていたことです。

子どもたちは話し合う中で「そもそも」に気付けたようです。それは話し合う中で「整理・収脳」が出来ていたからではないでしょうか。

一人では気づけなかったこともたくさんの人と自分の考えをシェアすることで「整理・収脳」ができ、「そもそも」に気付けたようです。

そんな子どもたちの話を聞きながら、僕も「そもそも」この忙しい状況で何がしたいのかを考え直すきっかけになりました。

僕はそもそもこの行事を子どもたちにとって楽しい思い出にしたかったと考えていました。そして、そもそも教室を子どもたちにとっての心地良い場所にしたかったはずです。

だから、話し合いをした子どもたちから教えてもらえたことを、気付かされたことを、「整理・収脳」ができたことを子どもたちとともに大切にしようと思います。

どれだけ忙しくなっても「そもそも」どうしたいのかを「整理・収脳」を通して常に考えていけるようにしたいと思います。