昨日は習慣化することに関しての僕の考えを書きました。
習慣化するためには「無理なく続けることが出来ること」と「楽しみながら続けることが出来ること」が大切になると僕は考えています。
でももしかしたら、習慣化されていることは生活していく上で絶対にしなくてはいけないことではないのかもしれません。
例えば、僕が今習慣化している「早寝早起き」
別に早く寝なくても、早く起きなくても仕事に支障が出ないのであれば問題ない話であるように思います。始業時間にさえ間に合えば問題はないのです。最低限の仕事をこなしていれば問題はありません。
「毎日100円貯金」も僕は給料が入った時にいくらかは別口座に貯金するようにしています。だからプラスして貯金する必要もないのかもしれません。
「冷水を浴びる」ことに関しても正直やりながら「本当に必要か~?」なんて思いながらしている時もある位です。本当に健康的な効果を期待できるのでしょうか。もしかしたら急に冷水を浴びたことで心臓発作を起こし...的なこともあるかもしれません。
「腹筋」に関しても、この年になって何を見た目を気にしているのやらです。40歳を過ぎているのだからポテッと膨らんだお腹も40代男性の僕にはふさわしいのかもしれないとか思ったりもしています。
これら習慣化していることは、人間が最低限生きていくためには必要のないことなのかもしれません。
極端な話、雨風をしのげたり睡眠をとるための家や、空腹を満たしたり栄養を補給をするための食料があれば人はなんとか生きていくことは出来るように思います。
それは極端な話かもしれませんが、生きていく上で必要なモノは極限まで整理していくと少ないように思います。
でもそれはあくまでも「生きていく」という目的であり、僕の目的とは違うものになってきます。
僕の毎日の目的は「生きる」ことではなく「心地良く暮らす」ことです。
もちろん「生きる」ことが出来ているからこそ「心地良く暮らす」ことが出来るのだと思います。でも、そういうことを言いたいのではありません。
「生きる」ことが脅かされているような状況であれば僕は「心地良い暮らし」なんていうのんきな目的なんか立てたりしません。そういった意味では「生きる」ことが当たり前に出来る平和な日本で暮らせることは本当に幸せなことだと感じたりもします。
僕は毎日「整理・収納」を心掛けて生活していますが、それは目に見えているモノだけでなく、目に見えないモノも同じように「整理・収脳」するようにしています。
それは、僕が習慣化しているコトも含めて行っています。
現在の僕は習慣化しているコトが5つあります。それは無理なく続けることが出来るコトであり、僕自身が楽しく取り組めるコトです。
でも、こういった習慣化しているコトがこれから増え続けてしまうと、一つ一つの習慣化しているコトを続けることが難しくなってくるように思います。
そして、しているコトの総量が増えてしまうと本来しないといけない最低限のコトの管理も難しくなってくるように思います。
人が所有できるモノの量には限りがあります。
それは、目に見えるモノだけでなく、目に見えないモノやコトにも当てはまるように思います。
あまりやるべきコトが多くなってしまうと管理することが難しくなるように思います。
その「やるべきことの適正量」を把握するためにはやはり日々の「整理・収納」ではないでしょうか。
比較的簡単な目に見えるモノの「整理・収納」を行うことで自分の出来るコトの範囲を把握する。そうすることで一つ一つ行うコトの質を上げることが出来るように思います。
きっと、やるコトが増えてしまうと一つ一つにじっくり取り組むことが出来なくなってくると思います。どこか無理をしてしまう状態になってきます。
また、そういった状況になると楽しむ余裕がなくなってくるのだと思います。
心地良く過ごすために、一つ一つのモノやコトを大切にしていきたいと思います。そして、自分にできるコトの「適正量」を把握していこうと思います。
そのためには「整理・収納」を徹底して、やるべきコトを厳選していきたいと思います。