人は変化する生き物だと思います。
良い方にも悪い方にも勝手に変化するだろうし、意図的に変化できるようにも思います。
僕は僕の理想とする人間に変化したいと思っています。
僕の理想とする人間像はたくさんあります。
いつでも落ち着いて行動することができるようにしたい。自分の時間をしっかり取れるようにしたい。もう少しお給料を貰えるようにしたい。バキバキに割れた腹筋にしたい。などなど挙げ出したらきりがないように思います。
そんな挙げ出したらきりがない理想の人間像を目指して忙しい毎日を過ごしています。
そして、少しでも理想の自分に近づけるようにたくさんの悩みを抱えながら生活しています。
忙しい毎日を過ごしていると、目の前にあることだけに囚われてしまいがちになっているように感じます。
目の前にあることに必死になり過ぎてしまい、自分が目指す理想の人間像を見失ってしまったり、自分が目指している方向ではない方向に暴走してしまったり。
だから人はどんなことに対しても、一歩下がったところから自分を見ることが出来る「心の余裕」が必要になって来るのだと思います。
「心の余裕」を持つことで、自分の目指す人間像を常に確認出来るようにします。
その判断は間違っていないのか。その決断は自分の理想とする方向に向かっているのか。
きっと目の前のことだけに必死になり過ぎてしまっている状況というのは、その確認が出来ないような状況のように思います。
僕は「一生懸命」と「必死になり過ぎている」は違うと考えています。
その物事と向き合っているということに関しては同じかもしれませんが、冷静さを欠いて必死になり過ぎている状態は、その物事の結果を違う方向に向けてしまうようになる状態だと思っています。
せっかく時間を割いてその物事に取り組むのであれば、良い結果は必要なモノです。
ここでいう良い結果というのは、その物事に対する成功だけではなく、その物事から得ることの出来るモノがあるということです。
必死になり過ぎてしまい、進むべき方向が違ってくると得るモノも少ないように思います。
逆に冷静にその物事と向き合い取り組むことが出来た時には、その結果が思うような結果でなくても、得るモノは少しかもしれませんがあるように思います。
その小さな積み重ねが、自分の思い描く理想の人間像へ近づけていくのではないかというのが僕の考えです。
何も考えず目の前にあることに必死になり過ぎていると、人は悪い方に勝手に変わっていく場合があると思います。気付いたときには自分の理想とする人間から大きくかけ離れた自分になっているような感じです。
そうではなく、僕は意図的に自分を理想とする人間に変化させていきたいと思っています。そのためには「心に余裕」を持てる状態にして、常に自分の変化を確認できるようにしたいと思っています。
良い方向に向かっているのか、悪い方向に向かっているのかということと常に向き合えるような「環境」を整えていきたいと思います。
思いつきの行動ばかりではダメです。しっかりと計画を立て、時間をかけて物事に取り組むことが重要だと思います。
もしかしたら思いつきの行動により大きな成果が上がることがあるのかもしれません。逆にしっかり計画を立てていたのに成果が上がらないこともあるかもしれません。
でも、それは長続きしないモノだと思います。
理想の自分に近づくためには、時間をじっくりかけることが大切で、少しずつ成長していくことが大切だと思います。
じっくり向き合える「環境」を整えるために「整理・収納」を行い、理想の自分に近づけるための「習慣」をつけるために「整理・収脳」をこれからも続けていきたいと思います。