話の長い人っていますよね。色々説明してくれるのですが、結局何が言いたいのか良く分からない人です。話を聞いていても、話が回りくどく「結局何が言いたいのだろう?」なんて思ってしまう人です。
恐らく話している本人も何を言っているのか分からないときもあるように思います。話しながら「自分は何が言いたいんだろう?」なんて思ったりしているのではないかと思ってしまいます。
逆に話が上手な人は話が短く、言いたい事をシンプルな言葉でまとめ、的確に言いたい事だけを伝えてくれます。
話したい事や伝えたいことが明確で、聞いている側も「この人はこういうことが言いたいんだな。」と明確に分かるように話してくれます。
話が長くなり、話す内容が入ってこない。そして、聞く気が無くなってしまう。
話が短く、話す内容が分かりやすい。そして、もっと聞きたくなる。
どちらが良いかは一目瞭然で、僕は後者のような人になりたいと思っています。後者のような人を目指しています。
きっと話が短い人は頭の中でしっかりシュミレーションをしているのだと思います。そして、自分の考えが明確で、自分の考えに自分が気付いている人のように思います。
自分が大切にしていることや自分が伝えたい事が何かということが明確で、自分のそんな考えに気付いており、それをどう伝えればいいのかを常に考えているのだと思います。
僕はそれを「整理・収脳」と呼んでいます。目に見えない頭の中のモノを必要なモノだけにし(整理)、その必要なモノを頭の中の定位置にしまい、常に使いやすくしている状態(収脳)です。
話が短い人はきっと「整理・収脳」が常に出来ているのだと思います。
自分にとって必要なモノは何なのかを考え、頭の中を常に必要なモノだけにし、いつでもその考えや思いを出すことが出来るようにしている。そんな状態になっているのだと思います。
だから、話す内容がシンプルで、聞いている人にも分かりやすい話し方が出来るのだと思います。
そして、そんな「整理・収脳」が出来ている人は「整理・収納」も上手に出来ている人だと僕は考えています。
以前ラジオで、千原ジュニアさんにインタビューしていたときの話を思い出します。
インタビュアーが「話の上手な人の共通点ってありますか?」と聞いたところ、千原さんは即答で「部屋がきれいな人」と答えていたそうです。
話すことをメインに仕事をしているお笑い芸人。そんな人たちの中でも話が上手な人、下手な人はいるようです。そして、話が上手な人は「整理・収納」が出来ている人のようです。
そんな僕はどうなのでしょうか。日々「整理・収納」を大切に考えて生活している訳なのですが、そんな僕は話を上手に出来ているのでしょうか。
このブログでは、僕の考えていることや僕の思いを綴っています。それは自分のために行っていることであり、このブログに書くことで「整理・収脳」をしようとしています。
このブログに自分の思いや考えを綴ることで、自分と向き合う時間を取ることができ、今までよりかは自分の思いや考えに気付くことが出来るようになっているように思います。
ただ、最近の僕は少し文章が長くなってきているように思っています。だいたい1500字前後で収めたいと考えていますが、最近の僕は2000字を超えることが多くなってしまっています。
もちろん、「整理・収脳」することをメインに考えてしていることでもあるので字数なんて関係ないのかもしれません。
ただ、自分の中でも文章が長くなってしまうことで、何が言いたいのか、自分が何を考えているのかが見えにくくなってしまうこともあります。
そう考えると、僕はあまり「整理・収脳」が上手に出来ていないように思います。きっと人に僕の考えや思いを話したとしても、長い話になるように思います。
そんな事を考えていると、この投稿も1600字を超えようとしています。
僕にとって本当に必要なモノは何なのか、それはどこにしまうモノなのか。「整理・収脳」がしっかりできる人になりたいと思います。