自分の思いや考えに気付くために、物事と向き合います。
向き合った結果、見えにくかった自分の思いや考えが明確になり、それが自分の理解へと繋がります。
自分はその物事に対して「こう思っていたんだ。」や「こんな風に考えていたんだ。」などです。ざっくりの気持ちを深めることで、本当に必要なことや大切にしなければならないことが明確になって来るように思います。
そして、その明確になったモノを視覚化することが僕は大切だと思っています。僕であれば、このブログが視覚化するための手段になっています。
ざっくりの思いや考えと向き合い、明確になった気持ちをブログに「言葉」として綴っていきます。そうすることで「言葉」という形のあるモノになり、視覚化されて「整理・収脳」がしやすくなってきます。
その手段は人それぞれで、僕であればこのブログですが、人によっては、話すことかもしれません。絵に描くことかもしれません。歌にすることかもしれません。
手段は人それぞれで良いと思います。その人にあった手段で自分の思いや気持ちを明確にし、それを自分の理解に繋げることが大切になるのだと思っています。
ただ、僕は自分の思いや考えを更に自分のモノにするためには、インプットだけでなく、アウトプットすることも大切になって来ると思っています。
物事とじっくり向き合い、その物事を視覚化することで明確にし、自分の中にインプットすることが出来ます。そして、それを他の人にも分かるような形にしてアウトプットすることで、更に視覚化が進むようになると思います。そして自分の中での理解も更に深まっていくように思います。
もしかしたら、本当の理解というのは自分の中だけで「納得」することではなく、人にも分かるように「表現」出来ることこそが本当の理解なのかもしれないと思ったりもします。
その物事と「向き合う」というのは、他の人にも分かる形にしていくという事なのかもしれません。
その思いや考えを誰にでもわかる形にしていく。伝えることが出来るようにしていく。そうすることが「真に向き合うこと」であり、そこから見えて来るものが「真の理解」ということなのかなと思います。
話の上手な人はそういったことが常に出来ているのだと思います。人に伝えることを常に視野に入れ、どう話せば自分の思いや気持ちが伝わるのか。それと常に向き合っているからこそ理解が深まるのだと思います。そして、上手に人に伝えることが出来るのだと思います。
僕はこのブログを誰かに読んでもらうことも考えながら書いています。それは人に伝えるということを常に視野に入れ、自分の思いや考えと向き合うことをしているのだと思います。
もちろん、このブログを他の人が読んでも分かりにくいと思うことや共感してもらうことが出来ない事なんて山ほどあるように思います。
それは、僕がまだまだその物事と「真に向き合うこと」が出来ていないという事だろうし、その物事を「真に理解」することが出来ていないからだろうと思います。
だから上手に書くことが出来ていないのだと思います。
もしかしたら「真に理解」するためには、ブログに書くだけでは足りないのかもしれません。他の人に僕の思いや考えを話すことを通してアウトプットしなければならないのかもしれません。
「言葉」を書くだけではなく、「言葉」を話すことで視覚化することも必要なのかもしれません。
僕は「毎日を心地良く過ごす」ためには「整理・収納」が欠かすことの出来ないモノと考えています。
それが本当にそうなのか。本当に大切なモノが何なのか。
それを本当の意味で「理解」するために、物事への「向き合い方」も常に見直せるようにしていきたいと思います。