最近の小学校では「マスクはしない」と指導する場面が出てきました。
通学の時間と体育の時間です。
暑くなり出すこの時期、熱中症になるリスクが高いという理由からだそうです。
実際ここ最近、体育の授業中にマスクをしたままリレーの練習をしていた子どもたちが熱中症の症状を訴え、病院に搬送されたという事案が発生しているとのことです。重症の子どももいるとのことです。
そりゃそうなると思います。この時期だけでなく、寒い冬の時期でもマスクをしていると息苦しく、運動すると呼吸がしにくくなります。寒い冬でもそんな感じなのだから、気温が上がり始めているこの時期やこれからの夏の時期はそういった状況になることは簡単に想像できます。
でも、コロナ禍の影響によりマスクをつけるようになったのは今年からではありません。僕が記憶している限りでは、2年前の2月位からだったのではないでしょうか。
その時期からマスクをつけることが日常になり、マスクをつけるのが当たり前の雰囲気が社会の中に生まれだしました。マスクをしない人は感染対策が出来ていない、いけない人という雰囲気が社会の中にはあるように思います。
そんなマスクを付け、暑い時期を2年間も乗り越えてきました。でも、熱中症があったのは今年に入ってからなのでしょうか?
僕は違うように思います。大きく報じられていなかっただけで、熱中症は過去2年間でもたくさんあったように思います。そしてコロナの感染者数の影に隠れて、他にもたくさんの弊害があったように思います。
丁度2年前の5月。僕も熱中症の症状が出たことがありました。
きっとマスクをすることに慣れていなかったのだと思います。買い物に出かけていた先で、急に頭痛が襲ってきました。そして気付いた時には体の右半分にしびれが出てきて、歩くのも困難な状況になってきました。
すぐに近くにあったドラッグストアに入り、スポーツドリンク、塩分の入ったタブレット、冷えピタを購入し家路を急いだことを覚えています。
家に着いてからも体中に保冷剤を置いて部屋を涼しくして寝ていました。病院に行くことはしませんでしたが、かなりしんどい状況だったように思います。
そこから1ヶ月位は頭痛が取れることもなく、その頭痛に苦しめられていたのを今でも覚えています。
そんなことがあった僕であったため、熱くなり出す時期にはいつも熱中症のことが頭をよぎっていました。感染症対策も大切かもしれませんが、熱中症対策も疎かにしてはいけないと常に考えていました。
教室にいる子どもたちにも「息苦しくなったら人のいないところでマスクを外してもいいんだよ。」と常に声をかけていました。
でも、このマスクをすることが当たり前になった2年間で、子どもたちはマスクを取ることを嫌がるようになっています。
顔を見られることを極度に嫌がる子もいます。感染するかもという思考からマスクを取ることに不安を抱える子もいます。
この2年間、散々「マスクはするもの」と言い続けた大人たちにより、子どもたちはマスクを外せない子どもたちになっているように思います。そして、自分が取れないだけでなく、他の人にもマスクを強要するような雰囲気にもなっています。
実際、僕が子どもたちへの指示を終え、活動していた際に、少し息苦しさを感じたので距離を取ってマスクをずらしていると、「先生がマスクを外している~。ダメなのに~。」と一人の子どもが大きな声で話し出しました。そして数名の子どもたちも、「ダメなのに~。」となっていました。
事情を話しますが、もうすでに「マスクを外すことはダメな事」となっている子どもたちの意識を変えることは難しいことになっているとその時感じました。
こういった意識を子どもたちに作ってしまった原因は大人にあるように思います。自分も含め、全ての大人に原因があるように思います。社会にそういった雰囲気を作った大人に原因があるのです。
それなのに今更「マスクをしない」と指導する場面が出てきているのです。過去2年間と大きく状況は変わっていないのに...。
少し話が飛躍するのかもしれませんが、過去の日本の教育にも通じるものがあるように思います。戦争が正しい事と教育していた時代もありました。しかし、時代が流れていく中で戦争はダメな事となっています。
戦争はしてはいけない事です。人の命をたくさん奪う戦争はあってはならない事です。
しかし、時代や人々の考え方により、それが正しい事となっている状況があるのです。
戦争とマスクの話では別ものなのかもしれませんが、子どもたちの様子を見ている限り通じるものがあるようにも感じたりします。
今の時期のマスクは本当に必要なのでしょうか?マスクをすることによる弊害はないのでしょか?
本当に必要なこと、大切にしないといけないことは何なのか。
そういったこととも「整理・収脳」をして向き合えるようにしたいと思います。