「とりあえずテレビ」をやめた昨日。
「とりあえずテレビ」とは、見たい番組があるわけでもないのに、とりあえずテレビを付けチャンネルを回すことです。そして「面白くないな~。」とか思いながらだらだら見てしまうことです。
昨日はその「とりあえずテレビ」をやめた訳なのですが、その本来テレビを見ていた時間にしなければいけない事を「整理」することが出来ました。
洗濯機の中に入っている溜まった洗濯物を回し、それを干したり、面倒くさい掃除機をかけたり、どちらかというと面倒でネガティブなコトを「整理」することが出来ました。
そして、読書をする時間もじっくり取ることが出来ました。
僕は読書は好きですが、読書も割と体力を使うことです。いざ家で「読もう!!」となる場合、「読むぞ!!」という心構えが必要になると思っています。リラックスしているというよりかは、ある程度心の準備が必要な感じです。
そんな読書の時間を通して、本の世界にどっぷり浸かることが出来ました。
「とりあえずテレビ」をやめたことで、いつもとは違う充実した休日の時間を過ごすことが出来たように思います。そして、「とりあえず」何かをすることの危険性も感じることが出来たように思います。
人は生活していく中で「とりあえず」何かをすることが多くあるように思います。
僕の日常にも「とりあえず」がたくさんあります。
昨日整理をしたテレビをつけることもとりあえずの一つです。他にも、朝起きたらとりあえずスマホを見る。とりあえずSNSを見る。職場についたらとりあえずをコーヒーを淹れる。家に帰ってきたらとりあえずお酒を飲む。他にもたくさんのとりあえずがあるように思います。
これらの「とりあえず」は無意識に行っていることのように思います。こうしたいという思いや、行う必要性があってしていることではないように思います。何か目的があってしていることではなく、無意識にルーティーン化しており、無意識にとりあえずしていることではないかと僕は考えています。
それは行動だけではなく、持ち物にも当てはまることでないでしょうか。
とりあえず持っている、とりあえず置いているといったモノがたくさんあるのではないでしょうか。「整理・収納」を心掛けている僕でもそういったモノがまだまだあるように思います。
どこかに出掛ける際にも、とりあえず持っていこうとしているモノがあるように思います。そのモノが本当に必要なのか、使う機会はあるのかという事とじっくり向き合うこともせず、とりあえず持ち歩いているモノがあるように思います。
そうやって「とりあえずのコトやモノ」はどんどん増えていくようになるのです。行動だけでなく、持っているモノにも当てはまるし、持ち歩くモノにも当てはまります。
昨日僕は「とりあえずテレビ」を整理しました。それはテレビを見ることとじっくり向き合った結果、必要のないモノと判断したからです。充実した休日を過ごすことが出来ていないという事をずっと抱えており、何とかしたいと問題意識を持っていたからです。そしてそれを解決したいと考えていたからです。
そして、その「とりあえず」を「整理」したことで、面倒かもしれないけどしなければならないコトを「整理」することが出来ました。
そして、それが心を落ち着けることに繋がったように思います。それは目に見えない思考も目に見える環境も同じだと思っています。
こういった積み重ねが充実した時間を作るのかもしれません。そしてそれが「心地良い時間」に繋がるのかもしれません。
とりあえずしている行動だけではありません。とりあえず持っているモノ、とりあえず持ち歩いているモノを「整理」することで、本来大切にしなければならないコトやモノを大切にすることが出来るのだと思います。
無意識の「とりあえず」ではなく、それが本当に必要なのかということを意識して一つ一つのコトやモノと向き合うことが大切だと思います。