整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

「積読」と同じように

皆さんには「積読(つんどく)」はありあますか?

積読」とは、

『入手した書籍を読むことなく自宅で積んだ状態を意味する言葉』

だそうです。恥ずかしながら最近この言葉を知りました...。

僕は本を毎日読んでいますが、「積読」は一切ありません。

そもそも、購入した本を読まずに、次の本を手に入れるという発想を持っていません。

高校生の頃、通学に時間がかかるという事で始まった読書生活。

その当時から購入した本や図書館で借りた本は、最後まで読み切るようにしています。

そういうものだと思っていたし、今現在もそういうものだと思っています。

もちろん読んでいて「良く分かんねえなぁ。」なんて思う作品はあります。

自分にとって面白くないと思ったり、合わないと思ったりする作品は誰にでもあるように思います。

ただ、一度手にした作品。その作品を最後まで読むことは、僕は読者としての最低限のマナーだと思っています。

その作品を書いた作者、その作品を僕の手元に届けてくれた出版社、販売者に対する最低限のマナーだと思っています。

確かに作品によっては、中々ページが進まない作品もあるように思います。

表現の仕方であったり、難しい漢字がたくさん出て来る作品はどうしても読むのに時間がかかってしまうように思います。

また、話の展開が自分に合わなかったり、作者の考えが合わないと思う作品もあるように思います。そういった作品のページの進みも悪くなるように思います。

今僕が読んでいる作品もページの進みが悪く、僕にとっては合わない作品なのかなと思っています。(現段階ではです。)

太平洋戦争真っ只中の時代小説ということもあり、今とは違う当時の独特な表現であったり、難しい言葉や漢字がたくさん出て来る作品です。

読みながらイメージを膨らませたいのですが、学がなく、想像力に乏しい僕にとってはそれが中々難しい状態になっています。ということから、その作品の良さを満喫出来ていないという気持ちが芽生え、ページの進みに影響を出してしまっているように思います。

作者の事を悪く言っているつもりはありません。読者である僕に問題があるのだと思います。読めない漢字が多かったり、想像力に乏しい僕に問題があるのだと思います。

ただ、そういった作品でも、最後まで読み切るということに関しては大切にしたい事だと思っています。

先述した通り、最後まで読まないというのは作者・出版社・販売者へのマナー違反であり、リスペクトに欠ける行為だと思っているからです。

自分に合わない作品や、自分にとっては面白くないと感じる作品を読むことはすごく体力のいることです。でも、一度手にしたその作品を生かすためには最後ま読むことしかないように思います。

読み切った先に何があるかはその作品次第かもしれませんが、読み切るその行為自体は自分次第だと思います。

意外と読み切った後に「いい作品だったな~。」なんて思うこともあるように思います。そういった経験も日々の生活に活かすことが出来るのではないかと思ったりもします。

少し齧って「もういらない...。」ではなく、「美味しくない...」と感じていても少したってから「あれ?甘味が出てきた!!」なんてこともあるのかもしれません。

読書も同じで、合わない、面白くないと思ったとしても、体力を使ってでも読み切ることでその作品の隠れた魅力に気付くこともあるように思います。

生活の中で起きることや感じることは、全て根元にあるのは同じなのかもしれません。我慢強く、じっくりその物事と向き合うことで、その物事の隠れた魅力に気付けることがあるのかもしれません。

食べ物や本だけでなく、一つ一つのモノや人間関係も同じなのかもしれません。

僕は「積読」はしないようにしていますが、それと同じようにモノや人間関係も同じように、一度手にしたモノをもっと大切にしていこうと思います。

積読」しないという本に対する思いと同じように物事を見ることで、その物事の隠れた魅力に気付けることがあるのかもしれません。

そんな魅力に気付けることで、人として成長できるのだと思います。

一つ一つを大切に出来る、そんな人に成長していきたいと思います。