僕が考える「収納」とはモノの定位置を決め、モノを使いやすくすることです。
あくまでもモノを使いやすくすることが前提で、キレイに収納することを意識しすぎると、モノの使いやすさを忘れて収納をしてしまうことがあるように思っています。
確かにモノを見せないようにする収納は見栄えがよく、心を落ち着かせることに繋がるのかもしれません。
ただ、見せない収納を意識しすぎるとそれが仇となり、モノが使いにくくなり、ストレスの元になってしまう事もあるように思っています。
また、深く考えずに収納していることで、無駄が増えることもあるように思います。
僕はこの一年間、「整理・収納」を意識して生活してきました。
その中で、自分の生活とじっくり向き合い、自分の生活や動線に合う収納を考え、実践してきました。そして今現在も自分の生活や動線とじっくり向き合い、より良い収納を探し求めています。
そんな僕ですが「まだまだやなぁ。」と思う、無駄のある収納に昨日気付きました。
それは教室にある教師用机の引き出しに入れているゼムクリップです。
よく使うモノということで、引き出しの手前の方に収納しています。
僕はこのゼムクリップをケースに入れて引き出しの中に収納していました。
恐らく100円均一のお店で購入したであろうゼムクリップ。ずいぶん前からこのケースがあることを思うと、長い間こういった感じで収納していたのだと思います。
特に違和感を感じることもなく使い続けていましたが、よくよく考えると無駄があるように思います。
僕はゼムクリップを頻繁に使用します。子どもたちの課題のプリントを集めるときに使ったり、種類ごとに資料をまとめたりするときなどに使います。
そして、使うときには以下の手順でゼムクリップを取り出していました。
- 引き出しを開ける。
- ケースのふたを開ける。(ケースに磁石が付いているので取り出しやすいです。)
- ゼムクリップを取り出す。
という感じです。
ゼムクリップを取り出すのに、3つの行動が必要になります。
僕は「2」の行動に違和感を感じました。
僕はゼムクリップを使うときは机の上でしか使うことはありません。稀に子どもたちに配ることはありますが、ほぼ机の上でしか使うことはありません。
持ち出すことが頻繁にあるのであれば、ケースに収納している意味はあるのかもしれませんが、僕の場合は持ち出すことはほぼないのです。
そもそもケースの中に入れておく必要が僕にはあまりないのだと思います。そのそもそもに気付くことなく、何となく収納をしていたのです。
ということもあり、ちょっとした無駄があることが分かったので、その無駄を省くようにしました。
その結果...
- 引き出しを開ける
- ゼムクリップを取り出す。
という2つの行動だけになりました。
チョットしたことなのかもしれませんが、こういった日常にあるチョットした無駄を省くことが大切なんだと思っています。
ただ、そういったチョットした無駄が本当に無駄なのかどうかは、じっくり向き合う必要があるように思います。
自分の生活や行動と向き合い、自分には何が必要なのか、何が不要なのかをしっかり考える時間を取る必要があると思っています。
僕の場合、
ゼムクリップは頻繁に使用するモノです。
ただ、ゼムクリップは机上でしか使わないモノです。
そして、ゼムクリップはほぼ持ち出すことはありません。
という日常の中の行動があることが分かりました。
そういった行動があるから、ケースは不要なモノという結論に達したのです。
昨日まで、僕は自分の行動と向き合うことをしていなかったから、何となくケースごと収納していたのだと思います。
そして、ゼムクリップを取り出す度に無駄な行動をしていたのだと思います。
ケースの蓋を開けるなんて本当にチョットしたことなのかもしれません。蓋を開けることなんて指2本使えば簡単に出来ることです。
ただ、こういったチョットしたことに拘ることが「心地良い生活」を実現するためには必要になることなのかもしれないと思ったりもします。
そして、こういった視点を持っていることで、「無駄を省く」というアンテナを常に張ることに繋がるのだと思っています。
自分の生活や行動と向き合うことで、もっとたくさんのチョットしたことを省くことは出来ると思っています。
日々の生活の中の無駄を少しでも減らし、「心に余裕」を持てるようにしていきたいと思っています。
因みに...画鋲に関してはケースに入れて引き出しの中に収納しています。
何故かというと、画鋲を使うときは持ち出して使うことが多いからです。また、ケースに入れておくことで安全面も確保できるということもあります。
収納する際には、安全面にも配慮することが大切だと思っています。