どんな事が起きても、動じることなくいつも通りの自分でいれるようにしたいと思っています。
何が起きても「大丈夫」と思える、そんな心の余裕を常に持てる人間になりたいと思っています。
映画「SLAMDUNK」での宮城リョータも、兄のソータから
「キツくても、心臓バクバクでも、めいっぱい平気なフリをする」
というアドバイスを貰い、その言葉を大切にしています。
それと同じような感じで、僕もそんな気持ちを持って物事と向き合いたいと思っています。
何が起きても「大丈夫」と思うのは、相手や周りの人に「動じている」と悟られないためでもありますが、それ以上に正しい判断が出来るようにしたいという思いから持ちたいと思っている気持ちです。
どんな事が起きても、冷静にその状況を分析し、自分にとって最善の選択が出来る自分でいたいと考えています。
「動じない心の強さ」
「ブレない心の強さ」
そんな強い精神力を常に持ちたいと思っています。
そんな事を考えている僕。
まだまだ自分では未熟だと思っているのですが、ごくたまに「動じませんよね。」なんて言われることがあります。
「いつも冷静に仕事に取り組んでいる。」
「余裕を持ちながら働いている。」
なんて事を言われたりすることがあるのです。
そして、そんな事を言われるときには「精神力が強いですね。」なんて事もセットで言われたりもします。
僕の何を見て「精神力が強い」と思っているのかは分かりません。言われている当の本人には全く心当たりがないのです。
今年度から新たな職場で働いていますが、僕の働くスタイルを見てそう思っているのか...早く帰る僕を見てそう思っているのか...。
僕には分かりませんが、ちょいちょい「動じない」と言われることがあるのです。
行ってくるその人の本心は分かりませんが、そう言われること自体は嫌な気持ちにならないし、自分に自信の持てていない僕からするとすごく嬉しい事です。
もしかすると、僕の事を面白がって言っているだけかもしれませんが...。
以前、僕の事を「動じない」といってきた同僚から「やっぱり長い間スポーツで鍛えた人の精神力は強いんだと思います。」と言われたことがありました。
確かに僕は長い間スポーツをしてきました。
学生時代のほとんどの時間をラグビーを中心に過ごしてきました。
高校も大学もラグビーで進学して来たし、僕には「ラグビーしかない」なんて気持ちを持って、全ての時間をラグビーに繋げながら生活していたように思います。
しんどい事もたくさんしてきたし、辛い事、痛い事もたくさんしてきました。
みじめな思いもたくさんしてきたし、たくさんの挫折も経験してきました。
そういった経験は今の僕の支えになっていると思っているし、僕にとっては貴重な経験だったと思っています。
ただ、それによって精神力が鍛えられたかというと、それは少し違うように思っています。
僕はスポーツの経験を通して「精神力」を鍛えてきたのではなく、「忍耐力」を鍛える事が出来たと思っています。
どんな事があっても、多少の事であればそれに耐える事が出来る力を鍛えてきたように思っています。
それは精神力とは少し違っていて、僕が持ちたいと思っている「動じない心の強さ」や「ブレない心の強さ」とは違うように思っています。
しんどい時、辛い時に耐える事が出来る力は、もしかしたら他の人よりもあるのかもしれません。
それは厳しい練習に耐える事が出来てきたからです。
炎天下の中、長時間走る練習もしてきたし、ケガを抱えながらでも痛い練習に耐えてきました。
心が折れそうになった時もあったし、心が折れた状態の時もありました。
それでも、そんな辛くしんどい練習に耐える事は出来てきたのです。
でも、それによって精神力が鍛えられたかというとそうではなく、ただただ耐える力を身に付ける事が出来てきただけだったように思っています。
もちろん「忍耐力」も大切な力だろうし、それがあるからどんな大変な時でも前に進む事が出来るのだと思っています。
ただ、僕が今身に付けたいと思っている「動じない心の強さ」「ブレない心の強さ」を持つ事には繋がらないように思ったりもしています。
どんな時でも動じる事のない「強い精神力」を持つためにはどうすれば良いのか...。
僕はやはり「整理・収納」が大きな役割を果たすのではないかと考えています。
周りの人から「動じませんよね。」と言われるのは、もしかしたら「整理・収納」を大切にしているからなのかもしれません。
「強い精神力」と「整理・収納」には深い繋がりがあると考えています。