不要なモノ...
所有したくないモノであり、抱えたくないモノです。
そんな不要なモノと思えるモノには様々な種類があり、モノによって不要度も変わってくるように思います。
今は不要だけど、これから先必要になるかもしれないモノもあるし、
今も不要だし、これから先も確実に必要になる事はないだろうというモノもあります。
中には、見ているだけ、視界に入れるだけで不快感を持ってしまう不要なモノもあり、そういったモノが多くあればあるほど、毎日の心地良い暮らしが自分から離れてしまう事になります。
例えばゴミ...
ゴミは確実に不要なモノだと言い切れるものだと思います。
食べた後のお菓子の袋、
食べた後のお惣菜の容器、
飲み終えたジュースのボトル、
料理をした際に使わなかった食材、
鼻をかんだあとのティッシュの残骸、
他にも、人が生活をしていると様々なゴミが大量に排出されることになります。
ゴミは使い道がなく、使いようがないモノで、生かす事が出来なくなったモノです。
だから、明らかに「ゴミ」だと思えるモノに関しては、心置きなく処分する事が出来るし、目の前や視界からなくす事が出来るのだと思います。
使い道がなく、生かすことが出来なくなったモノがゴミになるのです。
でも、もしかしたら、僕がゴミだと考えているモノの中には、人によってはまだまだ使えるモノ、生かせるモノだと感じるモノもあるのかもしれません。
食べ終えた後のお惣菜の容器も、キレイに洗えば食器として生かすことが出来るのかもしれません。
使わなかった食材も、モノによってはまだまだ生かすことが出来るのかもしれません。
野菜の皮も、出汁を取るのに使う人もいるかもしれないし、一手間加える事で美味しい一品に変わるのかもしれません。
料理の技術に乏しい僕だから、まだまだ食材を生かすことが出来ていないだけなのかもしれません。
だから、人によってモノをゴミと感じるか、感じないかはそれぞれなのかもしれないとか思ったりもします。
ただ、確実にゴミと思えるモノもあるだろうし、そのモノを生かすことが出来ていない状況が続いているのであれば、それはきっとゴミとして判断する事が出来るモノなのだと思います。
生かすことが出来ていないモノ...
生かすことが出来ないモノ...
その極みが、「壊れたモノ」ではないかと考えています。
壊れているけれど、何故かずっと所有し続けているモノ...そんなモノって意外と抱えているように思ったりします。
「整理・収納」を意識して生活している一応、整理収納アドバイザーである僕ですらそういったモノを抱えているのです。
その一つが...
コイツです...
そうです...
イヤホンです。
昨年の今と同じくらいの時期に3COINSで購入したワイヤレスイヤホン。
これ実は深く考えずに購入してしまったモノなのです...。
僕の耳は、どうやら一般的な日本人の耳の形とは違うようで、特に右耳の方は上手くイヤホンがはまらないような形になっているようです。
そんな事もあり、購入当初から右耳のイヤホンはほぼ使えないような状況になっていました。
装着してもポロポロ落ちてしまい、それをストレスに感じていた僕は、右耳のイヤホンに関しては使わないようにしていたのです。
イヤホンを使う際には、左耳用のみを使っており、右耳用のイヤホンに関してはほぼ充電用のケースにしまっている状況だったのです。
そんな状況に加え、最近発覚したのですが、左耳用のイヤホンが故障した状況になってしまい、使えない状況になってしまっていたのです。
右耳用のイヤホンに関しては、上手く装着できない...
使える左耳用のイヤホンに関しては、故障している状況...
そんな状況になっているイヤホンは、壊れているモノであり、生かすことの出来ない状況のモノなのです。
冷静に考えると、唯一使用出来る左耳用のイヤホンが壊れている状況であれば、絶対に生かすことの出来ないモノなのだと思います。
にも関わらず、「まだ使えるのではないか...」や「もったいないのではないか...」なんて気持ちを抱えてしまってい自分がいたのです。
もしくは、「無駄な買い物をしてしまった...」なんて思いたくない自分がいるように思ったりもします。
無駄なモノを購入してしまった自分を認めたくない自分がいるのです。
きっとそんな気持ちを抱えているのは、そもそも衝動的に買ってしまった自分に原因があるのだろうし、そんな無駄なモノを抱え続けている自分に問題があるのだと思います。
使えなくなったモノ...生かすことが出来ないモノは、残念だけどそれはゴミなのだと思います。
購入するまでの、様々なストーリーがあるのかもしれないけれど、冷静にそのモノと向き合う事が必要になるのだと思います。
そのモノに対して色んな思いはあるのかもしれないけれど、自分にとって不要なモノであれば、それは「整理」の対象になるものなのだと思います。
モノとじっくり向き合う事で、そのモノが必要なのか、不要なのかは見えてくるようになります。
不要なモノを抱えないように、一つ一つのモノとじっくり向き合えるようにしたいと思っています。