整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

後出し

後出しで何か意見をする人...

そんな人を僕はあまり好きではありません。

勝手な事をしといて、少し都合が悪くなると意見し出す...。

そんな人が結構多いように思います。

先日投稿した「文句」に繋がるように思ったりもするのですが、結果が出てから意見(文句)をし出すのです。

今日の大阪は大雨で、急遽僕の職場では「集団下校」を行う事になりました。

大体同じ方向に帰る子どもたちを集め、その子どもたちに数名の職員が引率して下校を行います。

大雨の中、靴や靴下だけでなく、ズボンなんかもビショビショにしながら引率を行うのです。

下校指導なんてカッコよく言ったりもするのですが、指導だなんて僕は思っておらず、「静かに帰ってくれ〜。」なんて思いながら引率していました。

緊急時の集団下校に関しては、年度始めに担当の部会から会議で提案がありました。

今回の大雨のような災害を想定した提案で、会議の中では特に異論もなく進められていたのです。

言わば、会議で提案内容が通っている訳で、一応何か緊急事態があった際にはその提案内容で動くという事が決まっていたのです。

そして今日その緊急事態があったという事もあり、僕はその提案内容を再度確認した上で動くようにしていたのです。

当然「職員会議」と言うオフィシャルな場で決まった事です。

それに従うべきだと思っていたし、全職員がその通りに動くものだと思っていました。

ただ蓋を開けてみたら、数名の職員が提案内容を無視して勝手な事をしていたようなのです。

と言っても、さほど大きな事ではありませんでした。

きっと勝手な事をしていた職員も「これくらいはいいだろう。」や「こっちの方がいいだろう。」なんて軽いノリでしていた事だと思います。

でも、そんなちょっとした勝手が先日投稿していた保護者からの「文句」に繋がってしまったのです。

いや...今回のケースは「文句」ではなく、「ご意見」だったのかもしれないとか思ったりもします。

というのも、保護者から「聞いていたのと違う!!」的な電話がかかってきたのです。

確かに微妙な違いがある程度の違いだったのですが、そんなに目くじらを立てるほどの事でもないとか思ったりもします。

でも違うと言われれば違うのかもしれないし、それを言われてしまうこちらに非があるように思ったりもします。

人によっては「どっちでもいいよ。」的な感じのレベルだったのですが、それでも言われてしまってはこちらの負けなんだと思います。

という事からも、今回は「文句」ではなく「ご意見」に当てはまるお言葉を頂く事になったのです。

そんな話を終礼でしていたところ、その勝手な事をした職員は「そもそも提案内容に問題があったのでは?」と言い出したのです。

そもそも提案していた内容に不備があり、自分がした事の方が効率的なのではないかと言っているのです。

一瞬耳を疑ったりもしましたが、確かにその職員は「自分は悪くない、悪いのは提案内容だ。」的な事を言い出していたのでした。

若くない、中堅どころの職員が言った事にも残念さを感じてしまうし、何よりも反省しないその姿に怒りの気持ちさえ覚えてしまいます。

勝手な事をして、それが原因でちょっとしたトラブルに繋がっている。

まず「ごめんなさい。」を言うべきだろうし、保護者への対応をしていた職員に「ありがとうございます。」を言うべきではないかと思います。(ちなみに保護者の対応をしていたのは僕です。)

そして何よりも、文句があるのであれば、年度当初に行われた職員会議で意見しておくべきだったのです。

「こうするべきだ。」

「こっちの方が良い!!」

そんな意見をしておくべきだったのです。

恐らくその職員は、その会議ではその提案をちゃんと聞いてなかったのだろうし、深く考える事をしていなかったのだと思います。

にも関わらず、実際にその状況になってから勝手な事をし出し、その結果が悪かったと思ったら後出しで意見をし出す...。

それはちょっとズルいのではないかなーなんて思ったりもします。

決まった事なのに、それを守る事もせず、勝手な事をしておいて、部が悪くなると後出しで意見をし出す。

僕はそんな事をする人をあまり好きではありません。

もしかしたら自分にもそんな所があるのかもしれません。

そんなあまり好きではない人にならないように、気をつけたいと思っています。

「文句」に対して

この仕事をしていると、本当にたくさんのお言葉を頂きます。

この仕事というのは、学校現場で働くという仕事です。

そして、お言葉というのは、クレーム...簡単にいうと「文句」です。

一応表向きは「ご意見を頂く」なんて言ったりもしているのですが、心の中では「文句」だなんて思ったりもする事もあります。

別に全てが「文句」だなんては思っていません。

中には本当に「ご意見」と思うような内容もあるし、内容によっては真摯に向き合わなければならない事もあります。

何か言われた際には、基本的には「ご意見」と捉えるようにしているし、あくまでも内容を聞いた上で、それが「ご意見」なのか、はたまた「文句」なのかを判断するようにしています。

頭っから「文句言いやがって!!」とは思わないように気をつけているつもりではいます。

でも今の職場になってから、やたらと「文句」と判断してしまう事が多くなっているように感じたりもしています。

この校区だからなのか...。

時代が少しずつ変わってきているということなのか...。

本当のところは分からないのですが、それでも確実に「文句」と処理してしまうような内容が増加傾向にあるように思っているのです。

電話がかかってきたり、

連絡帳に書いてきたり、

最近だったらメッセージアプリで送ってきたりする事も増えて来ました。

そんな連絡が入る度に、テンションは下がり気味になるし、「またか...」なんて気持ちを抱えてしまう事が増えてきています。

内容が「ご意見」と判断出来るものであればまだマシなのですが、内容が「文句」と判断するようなものであれば、疲労感が一気に襲って来るような感じになります。

正直、

「もうええっちゅうねん!!」

「ええ加減にせぇ!!」

なんて思ってしまうし、態度に出やすい僕は間違いなくそんな気持ちを態度に表してしまっているのだと思っています。

言い方は丁寧だけど、言っている内容はお下品だったり、

自分の事だけを考えていると思わせる内容だったり、

とにかくストレスを抱えてしまうような「文句」が多くあるのが現在の学校現場の現状なのです。

そんな「文句」により、本当にみんな疲弊しているし、「何言っても良いんじゃないんだよ!!」なんて大声で叫んでしまいたいと思ったりしています。

どうしてこんな感じになっているのか...。

何かある度に連絡をよこし、その度に文句を言ってくる...。

僕はその原因は、学校に対して良いイメージを保護者が持っていないからだと思っています。

そしてその根本にあるのが、保護者が学校に対してネチネチの気持ちを抱えているからだと思っています。

というのも、僕たちが子どもの時の学校と言えば理不尽な事がたくさんあった場所だったように思うからです。

理不尽な決まりがあったり、

理不尽に怒られたり、

理不尽な体罰があったり、

もちろんそんな中にも愛情や人情があったり、温もりがあったりする事もあったのかもしれません。

僕自身はそんな学校の環境に不満はありませんでしたが(怒られるような事ばかりしていたし...)、それでもそんな理不尽を感じながら、不満を持ちながら過ごしていた子どもたちは多くいたのではないかと思います。

そんな子どもたちが大人になったのが今の保護者たちではないでしょうか。

子どもの時には言えなかった不満を、大人になった今だから言える。

そんな感情が、今の学校現場に「何を言っても良い」みたいな風潮を生み出しているのではないかと考えています。

そんな30年以上も前の話をネチネチ言うのは「どないやねん」なんて思ったりもしますが、ある意味あり得ない「文句」を言ってくる人たちなのだからあり得る話なのかもしれません。

とにかく「ご意見」ではなく、「文句」を言ってくる人たちは、きっと学校に対して良い感情を持っていないネチネチ体質の人たちなんだと思います。

子どもの時に、理不尽に対して言えなかった事を大人になった今だから言う事が出来る。

その気持ちが今の「何を言っても良い」を生み出しているのだと思います。

まぁ僕は理不尽な事をしているつもりもないし、理不尽な事を言ったりもしているつもりはありません...。

だから僕は何でも言いなりになろうなんて思っていないし、言いたい事は言っていこうと考えています。

そして、そんな人たちに気圧されそうになっている同僚を全力で守っていきたいと思っているし、支えていきたいと思っています。

そのためにも「何が大切なのか」「何を大切にしていかなければならないのか」という事をブラさずに持てるような人間でいたいと思っています。

あり得ない「文句」に堂々と渡り合える。そんな自分でいたいと思っています。

取り組みの質を高めるために。

無駄なモノは抱えたくないと思っているし、無駄なモノがあった際にはそれをすぐにでも排除したいと考えています。

目の前にゴミがあったらすぐに捨てるようにします。

「後でいいや。」

「後でまとめて他のモノと一緒に捨てよう。」

そんな思考は持たないようにしています。

その後回しが、モノの散乱を招いてしまうからです。

目の前に脱いだままの服があったらすぐにその時にふさわしい場所に持って行くようにします。

まだ着るんだったらクローゼットの中に。

洗濯するのであれば、ランドリーバスケットの中に。

「後でいいや。」

そんな思考が、次の「後でいいや。」を招いてしまう事になるのです。

ゴミも脱いだ後の服も、それぞれその時にふさわしい場所があり、その場所に持って行く事によりモノの散乱を防ぐ事が出来ます。

そして、目の前が片付いている事により、心を落ち着かせる事ができ、心に余裕を持つ事が出来るようになります。

その心の余裕が、取り組みの質を高めてくれるようになるのです。

一つ一つの取り組みの質が上がり、

一つ一つの取り組みの精度が上がります。

そして、そんな取り組みにより、仕上がりの質を高める事が出来るのです。

どんな事にも、何に対しても質の高いものを求めるのであれば、一つ一つのモノと丁寧に向き合っていく事が大切になるのです。

何かをしている時、その何かに必要がないモノは排除していくべきです。

視界にその時関係のないモノが入る事により、知らず知らずのうちに集中力が奪われていきます。

それが取り組みの質に悪影響を与えるようになります。

ほんの少しの事なのかもしれないけれど、その少しが積み重なる事により、大きなモノに変わっていくようになります。

人は少しの事で良い方にも悪い方にも大きく変わってしまいます。

だからこそ、少しの事にこだわる事が大切になるのです。

今日僕はラグビーの試合をテレビで観戦していました。

リーグワン、プレーオフトーナメントの決勝戦です。

そのテレビ観戦でも、その観戦に必要のないモノは全て排除するようにしていました。

試合が始まるまでに、お昼ご飯の片付けを済まし、テーブルの上には観戦時に飲もうと考えていた日本酒の入ったタンブラーのみにしました。

それはもちろん、観戦の質を高めるためにした事です。

目の前に食べた後の食器があったり、ゴミがあったりするとそれが知らず知らずのうちに刺激となってしまい、ラグビーを見るという行為の質を下げてしまう事になるのです。 

あくまでもその時間はラグビー観戦を楽しむ時間でした。

だからこそ、その時間の質を高めるために、不要なモノを排除していったのです。

不要なモノがない環境のもと、じっくりラグビー観戦を楽しむ事が出来ました。

そんな感じを生活の全ての場面で行えるようにしていきたいと考えています。

それが当たり前に出来るようになったら、きっと今よりももっと心地良く過ごす事が出来るのだと思います。

無駄なモノを増やさないために

ずっと、ずっ〜と迷っていた事がありました。

買うか、買わないかを迷っていたのです。

それが...ポールスミスで売っている半袖のシャツです。

自分の身なりを気にし出したのはここ最近です。

なんとなーく自分に合う服を選んだりしだし、そこからなんとなーくおしゃれに目覚め出している現在になっているのです。

決して奇抜なファッションをしようだなんて思っていません。

シンプルで良いと思っているし、シンプルな服装の方が清潔感を出す事が出来ると思っています。

見た目で個性を出そうだなんて思っていないし、どれだけおしゃれな服を着たとしても、その人に魅力がないのであれば、どんな服を着てもダサく見えるのだと思っています。

逆に、その人に清潔感があるのであれば、ある程度は何を着たとしてもおしゃれに見えるのではないかと思っているのです。

そんなファッションに目覚め出している僕でありますが、大好きなブランドの一つである「ポールスミス」の半袖シャツを買おうかどうかずっーと迷っている状態にあったのです。

目ぼしいモノには目をつけていました。

「いいな〜」だなんて思っていたモノです。

初めて出会った時から「いいな〜」だなんて思っており、今までの僕であれば間違いなく即買いしていたモノだと思います。

そんな魅力的なモノではありましたが、時間をかけながらそのモノと向き合う事をして来ました。

お店に行くたびに「いいな〜。」だなんて思っていましたが、買いそうになったその度に「買うのはよそう...」だなんて思いながら踏み留まる事が出来て来ました。

買いそうになる度に、

「本当に着る機会はあるのか?」

「そのシャツを生かす事が出来るのか?」

という事と向き合って来ました。

初めに「いいな〜。」だなんて思い出してから3ヶ月程経ちますが、購入する今日までの期間はずっと頭の片隅に「それほんとにいる?」と思いながら、ずっと向き合い続けて来ました。

もしかしたら考え過ぎてよく分からない方に進んでしまいそうになる事もあるのかもしれませんが、それでも「そもそも必要なのか」という事から目を背けてはいけないのだと思います。

そんな事を考えていましたが、結局今日「良いな〜」と思っていたシャツを購入しました。

たくさん悩んだし、お店にもたくさん出向きました。

その結果、やっぱり欲しいとなったし、

色々試着した結果「必要なモノ」と判断したのです。

たくさん悩み、たくさんお店にも出向いたのだから、きっとそのシャツは必要なモノなんだと思います。

そんな風に「欲しいな〜」なんて思ったモノともじっくり向き合える自分でいたいと思います。

そうする事で、無駄なモノを増やさないようにする事に繋がるのだと思います。

毎日

毎日続けるって結構大変です。

毎日です...。

たまにするではなく...毎日です。

気分が乗らない日もあるだろうし、どうでもいいやって思う日もあります。

でも、毎日続けるからこそ得られる良さもある訳で、それを期待しているから続ける事が出来るのです。

ただ、それでも毎日となると苦しい訳で、続けるためには、ほんの少しの工夫が必要になるのではないかと僕は考えています。

工夫という言い方が正しいのかは分かりません...。

工夫ではなく、仕掛け?配慮?

どれもしっくりは来ないのですが、適切な言葉が思いつかないので、とりあえずは工夫としておきましょう。

そんな僕の毎日続けるための工夫は以下の2点になります。

 ①生活の延長線上で出来るようにする。

 ②楽しみながら出来るようにする。

まず、①の「生活の延長線上で出来るようにする」ですが、これは毎日続けるための負担を減らすという意味で大きな役割を果たしている工夫だと考えています。

やる事のハードルを上げ過ぎてしまうと気力がもたないようになります。

例えば、体重を減らすために仕事から帰った後にランニングをする。

僕にとっては仕事で疲れた後に、家に帰って来てからまた外に出るのは中々高いハードルになります。

そんな感じで、ハードルを上げ過ぎてしまうと、割と早い段階で根をあげてしまい、毎日続ける事が出来なくなってしまうのです。

だからこそ、少しでも負担を減らし、なるべく生活の延長線上で出来る事を探さなければならないのです。

例えば、少し前の僕であれば、帰ってから走るのは出来なかったけれど、朝の通勤時に余分に歩く事は出来ていました。

早起きの僕は朝の時間であれば比較的時間的な余裕があります。

本来家を出る時間よりも30分早く家を出ます。

そして30分歩いた先にあるバス停まで歩くようにしていたのでした。

最寄りのバス停までは5分程ですが、それでも生活の延長線上で出来る事と考えて、朝の30分を使うようにしていたのでした。

どうせ職場までは行かないと行けません。

どうせする事に、少しプラスするだけという事を毎日続けるための工夫として取り入れるようにしていたのです。

ちなみに今はバイク通勤に変わったということもあり、毎日出来るダイエットは出来ていない状況です...。

そろそろ生活の延長線上で出来る事をしたいと考えてはいるのですが...中々です。

そして何よりも②を大切にするようにしています。

楽しめない事を毎日続ける事はすごく難しい事だと思うし、余程の強い気持ちがないと続かないように思います。

だからこそ「毎日続ける」と決めたのであれば、それを楽しめるようにする工夫が必要になるのです。

僕は毎日、腹筋をしています。

もうかれこれ2年半以上は続けているのですが、それだけ続いているのは、腹筋をする事を楽しめているからです。

思った程の成果を上げる事は出来てはいませんが、それでも少しずつの変化を実感出来ている事を楽しめているし、もっと良くなるであろう未来を楽しみにする事も出来ています。

このブログも2年半以上、毎日続ける事が出来ていますが、このブログも楽しみながら続ける事が出来ています。

その日にあった事を冷静に振り返ったり、

自分とじっくり向き合う時間になったり、

過去の投稿を読み返して「何かいたんだか。」なんて恥ずかしくなってみたり、

とにかく書く事、向き合う事、読み返す事を楽しむ事が出来ているのです。

そんな楽しめる気持ちを持つ事も毎日続けるためには欠かす事の出来ない事なんだと思います。

毎日続ける事はすごく大変で、すごく難しい事だと思います。

でも毎日続ける事で得る事は必ずあるし、それを実感出来るから続ける事が出来るのです。

色々あって辞めたくなることもあるけれど、それでも「良い事もある」と思いながら、これからも毎日続けれる事を続けていきたいと思います。

環境を整える

やっぱり「環境」って大切なんだなと思います。

ここで言う「環境」とは、ゴミを捨てないとか、空気をきれいにするとかいった自然環境の事ではなく、自分を取り巻く周りの状態の事を指します。

その環境が整っていれば、心地良く生活する事が出来るし、自分を高める事にも繋げやすいのではないかと思っています。

先日も書きましたが、僕は今小学生に理科の勉強を教えているのですが、その理科の授業の中でも「環境」の大切さに気付かされる場面がありました。

理科の学習では、植物の観察をしたり、実験をしたりするのですが、主にグループ(3〜4人)でその作業を行います。

主な流れとしては、

 1、その日学習する内容の確認をする。

 2、観察や実験をする。

 3、分かった事をまとめる。

もちろんその中には、予想を立てたり、意見交流の時間があったりするのですが、まあ大雑把に書くとこんな感じでやってます。

そんな組み立ての下、学習を進めて行くのですが、どの場面でもグループによって取り組みの質に違いがあります。

違いが出ないように、十分な配慮はしているつもりなのですが、それでも違いが出てくるのです。

そしてその違いの中でも、最も3に大きな違いが現れるのではないかと感じているのです。

グループの中に学習に対して積極的な子がいる場合とそうでない場合で比べると一目瞭然です。

それは学力が高いとか、知識が豊富にあるとかは関係ありません。

学力が低かろうが、持っている知識が少なかろうが、「環境」さえ整ってさえいれば質の高い学習を進める事が出来ている感じなのです。

今日教えていたクラスでも、そんな事をたくさん感じる事が出来ました。

授業の最後に分かった事をノートにまとめる時間を取ったのですが、そのノートの仕上がりの質がグループによって全く違う感じになっているのです。

学力が高く、知識が豊富にある子がいたとしても、そのグループの「環境」が悪かったら仕上がりが悪くなります。

ここでいう「環境が悪い」とは、グループでの私語が多くなってしまったり、それによって話が聞けなかったり...。

そんな環境だと、一番大切にしたいまとめの時間の質を下げてしまう事に繋がるのです。

ひどいグループでは、まとめを書かずにノートを提出しているグループもあったくらいでした。

その中には、きっと普段はきちんと学習に取り組んでいるであろう子もいたりしましたが、あまりにも「環境」が悪いせいで、その時間の取り組みの質を下げてしまっていたのです。

逆に普段学習にしんどさを抱えている子でも、属しているグループに恵まれてさえいれば、取り組みの質を上げる事が出来ているのです。

どんな子でも「環境」さえ整っていれば、取り組みの質を上げることも出来るのだろうし、逆に取り組みの質を下げる事もあるのだと思います。

そしてそれは子どもだけでなく、我々大人でも同じ事が言えるのではないでしょうか。

「環境」を整える事により取り組みの質を高める事が出来る。

それを肝に銘じながら、毎日を過ごしたいと思います。

自分らしく

めんどくさい事を言う人はどの組織にもいるものです。

何か問題があったらすぐに人のせいにするし、とりあえず「自分は悪くない」を貫こうとします。

先ずは「自分にベクトルを向ける」事を行わなければならないのに、すぐに他にアラがないかを探してしまうのです。

「こうなったのは相手が悪い...。」

「相手のこの言い方が嫌だった...。」

そんな思考が先行してしまい、自分がしてきた事が見えなくなってしまっているのだと思います。

本当はそうなった原因は自分にあるのに、

自分にも非があるのに、

そこに目を向ける事が出来ないのです。

そんな人は結局、相手を攻撃する事しか出来ないし、周りの人と分かりあうことなんか出来ないのだと思います。

だからそんな人は気付いたら一人になっているだろうし、孤独の中で生きていく事になるのだと思います。

それを覚悟していたら良いのですが、そんな人に限って、そんな覚悟なんか待っておらず、どうしようもなくなってから「ごめんなさい。」なんて言い出すのです。

人の気持ちはそんなに甘いものではなく、「ごめんなさい。」と言われたとしても、すぐに信頼を回復する事は難しいし、すぐに許すことなんか出来なくなってしまいます。

僕の場合であれば、そんな人に対しては一線を引いてしまうし、そんな人とは関わりたくないと思ったりしてしまいます。

仲良くなんて出来ないし、上部だけのお付き合いしか出来なくなってしまいます。

僕はそこまで周りの人に依存していないし、なんだったら1人で生きていく方が楽なのではないかと思っているくらいなのです。

だから、問題があった時に僕のせいにするのは勝手にどうぞですが、それなりの覚悟は持っておいて欲しいと思っています。

言ったもん勝ちなんかじゃないと思っているし、理不尽な事に対しては徹底して対応したいと思っています。

今の職場でもそんな面倒な人が数名います。

保護者もだし、職員でもそんな人がいるのです。

僕は誰であろうと理不尽な事とは徹底して向き合っていきたいと考えているし、納得出来ない事にも徹底して向き合っていきたいと考えています。

そしてめんどくさい事に関しては、ズバッと切り捨てていきたいと考えています。

それが僕のやり方だし、それが自分らしさを見失わない生き方だと考えています。

自分に関わる周りの人も大切だけど、それ以上に自分を大切にしたいと考えています。

自分が自分らしくいれるように、めんどくさい事も徹底して対応していきたいと思います。