手放した『コト』があります。
長く続けてきたコトだし、手放したら「後悔するかも...」なんて思っていたコトを手放したのです。
モノやコトを手放すとき、割とモノの方が手放しやすかったりします。
というのも、モノは『替えが効く』モノがあったりするからです。
お気に入りの服を手放したとしても、似たような服は頑張って探せば何とか見つかったりするし、それは他のモノでも同じではないかと思うのです。
(ただ、プレゼントしてもらったモノなんかになると話は別なのですが...。)
だからモノに関しては、割と思い切って手放す事が出来たりするのです。
過去振り返ってみても、思い切って手放したモノに対し、後悔を抱える事なんてほぼ無かったように思います。
一方、コトに対してはどうなのか...。
僕はコトに関しては手放すとき、モノ以上に慎重になって考えるようにしています。
というのも、コトに関しては替えの効く効かないとは別次元の話ではないかと思っているからです。
コトというのは目に見えるモノとは違い、目に見えない自分がしているコトを指します。
早起きをする。
毎日30分のランニングをする。
毎日1時間勉強をする。
ダイエットのために食事を一食抜く。
そんな感じで、コトというのは自分がしているコトを指します。
そのコトを一度手放してしまうという事は、時間を遡る事が出来なくなる事からも、取り返しのつかない事になってしまうという事なのです。
一度手放してしまう事により、その時間にそれを行う事が出来なくなる訳で、いわば替えを効かす事が出来なくなってしまうという事なのです。
書きながら何を書いているのかよく分からなくなりそうにもなっていますが、最近の僕であれば、ある一つのコトを手放しました。
『毎朝の冷水シャワー』です。
遡ること3年前から...毎朝欠かすことなく冷水のシャワーを浴び続けてきました。
健康のために出来る事はないかと考えた結果、血行を良くするために冷水シャワーを浴びる事を始める事にしたのでした。
暑い日も、寒い日も本当に毎日続けてきたし、
どれだけ体調が悪い日でも続けてきました。
その結果、健康になったのかどうかは分かりませんが、健康診断で引っかかる事はなかったし、大きな病気をした事もありませんでした。
それは冷水シャワーの効果もあったのではないかと思ったりもしているのです。
ただやっぱり今思えば、寒い時期の冷水シャワーはきついと感じていたし、少なからず心の負担にはなっていたように思います。
そこにきて、昨年の年末には大きく体調を崩し(恐らくインフルエンザ)、まともに生活する事が出来ない状況だったのです。
流石に冷水シャワーはお休みしていたし、これを機に冷水シャワーを手放しても良いのではないかと考え出したのでした。
思っていたほどの成果は上がっていなかったし、
心のどこかでは負担に思ったりもしていました。
劇的な何かがあるのであれば、続ける事も出来たのかもしれないけど、そんな劇的な何かがあった訳では無かったのです。
かと言って手放してしまうと、そのやっていない期間の替えが効かなくなる訳で、一度手放してしまうと取り返しがつかなくなってしまうと思ったりもしていたのでした。
替えの効かないコトを手放す...。
結構勇気のいる事だし、深く考える事なく決めてしまうと本当の後悔を抱えかねない事になります。
といった事からも、熟考に熟考を重ねた結果「もういいんでねぇの。」という結論に達し、『冷水シャワー』を手放す事にしたのでした。
健康のために、生活の延長線上で行える事をと思い始めた『冷水シャワー』でしたが、思っていたほどの効果を感じる事もなかったし、少々ストレスにも感じていたのです。
手放しにくいコトだったのかもしれませんが、それでも勇気を出して手放す事が出来たのは、ある意味一歩前に進む事が出来たのかもしれません。
自分にとって本当に必要なモノ・コトは何なのか。
それは本当に自分に合っているモノ・コトなのか。
そのモノ・コトを生かす事が出来ているのか。
それらと照らし合わせながら考える事が出来たのではないかと思っています。
毎日を心地良く暮らしていけるように、常にそんな『整理・収納』の思考を持ち続けたいと思っています。