自分にとって必要なモノだけを所有する。
必要なモノだけに囲まれて生活する事によって、自分にとっての「心地良い暮らし」が実現するのだと思っています。
目に見えるモノも、目に見えないモノも、所有するモノを厳選し、それを心地良い暮らしに繋げたいと考えているのです。
モノが少ないと心が落ち着き、心に余裕を持つ事が出来ます。
ただ、モノが少ないだけでは駄目だと思っており、その少なくなった所有しているモノを「生かす」事が出来ている事も大切だと考えているのです。
モノを生かす...
モノを生かすとはいったいどういう事なのか...。
まず、そのモノの持つ本質と向き合う事が大切になると考えています。
一つ一つのモノにはそもそもの役割があり、そのそもそもの役割通り活用する事が出来ているかが大切になると思っています。
僕は毎朝マグカップにコーヒーを淹れて飲んでいます。
大きなサイズのマグカップ。たっぷりのコーヒーを注ぎ、嬉しいコーヒータイムを過ごす事が出来ています。
ブログを書きながらコーヒーを飲んだり、
本を読みながらコーヒーを飲んだり、
マグカップは僕にとって欠かす事の出来ないモノになっています。
僕が所有しているマグカップはその一つだけです。
他にマグカップは所有しておらず、その一つだけのマグカップだけでコーヒータイムを楽しむようにしているのです。
一つだけを所有している事により、僕はそのマグカップを最大限生かすことが出来ているのではないかと思っています。
一つしかないから、使い終わった後すぐに洗うようにし、次にすぐ使えるようにしているし、一つしかないから、その一つを大切に扱う事が出来ていると思っています。
一つしかないから、使用頻度は高くなっており、使わない日はほぼ無いのではないのかと思っているくらいです。
仮にたくさんのマグカップを僕が所有していたとすると、恐らくこのマグカップの使用頻度は今程は高くないのではないかと思います。
その時の気分によって、他のモノを使ったり、
場合によっては使われることのないモノに変わってしまったり...
そんな状況になってしまうのではないかと予想出来ます。
所有するモノを厳選しているからこそ、一つのモノを大切にする事が出来るのだろうし、たくさん使用することが出来るのだと思います。
マグカップというモノの持つ本質を理解し、その本質に沿った形でたくさん使用する事が出来ているのです。
そんな状況だから、モノと良い関係を築くことが出来るのだと思います。
因みに、マグカップの持つ本質は、飲み物を入れる事です。
コーヒーを飲むために購入したマグカップであれば、そのマグカップはコーヒーを入れる事により、その役割を果たすことが出来るのだろうし、たくさん使用する事でそのマグカップを最大限生かすことが出来るのだと思います。
たくさんのマグカップを所有していた場合、もしかしたら全く使う事のないマグカップが出て来るのかもしれません。
そして食器棚の肥やしになる場合もあるのかもしれないし、違う形でマグカップを活用する事に繋がるのかもしれません。
本当はそんな使い方では生かすことが出来ないにも関わらず、不本意な形で使用されてしまう...。
そんな事が起きてしまうのかもしれません。
使われることがない事に罪悪感を感じてしまい、無理やりそのマグカップを使おうと考えてしまう...。
例えば、お洒落に飾るだけになってしまったり、一輪挿しに使ったり、
それはそれで人によっては、生かすことが出来ていると考える場合もあるのかもしれません。
ただ僕はそれは違うと思っている訳で、
視界に入るモノを減らしたいと思っている僕からすると、お洒落に飾るだけのマグカップは必要ないと思っているし、
一輪の花を飾るのであれば、シンプルな一輪挿しを使う方が、視覚的な刺激は少ないと思ったりもします。
マグカップに花を生けるのではなく、花が引き立つようなモノの方が、花を生かすことが出来ると思っているのです。
という事からも、僕はモノを生かす際には、そのモノの持つ本質を理解し、そのモノをシンプルに使う事を大切にしたいと考えているのです。
そしてそれはマグカップだけでなく、自分が所有する全てのモノに当てはめて考えたい思考だと思っています。
目に見えるモノも、目に見えないモノも、全てのモノには本質があり、それを理解して、シンプルに使えるようにしたいと思っているのです。
そして一つ一つのモノを生かせるようにしたいと思っているのです。