20年以上前から付き合いのある後輩と久しぶりに食事に行ってきました。
久しぶりの生ビールはやっぱり美味しかった…本当に…美味しかったです。
……でも今日はそんな生ビールの話ではなく、後輩と話したことで気づいたことを投稿したいと思います。
この後輩は23年前に高校2年生の先輩の僕に対して高校1年生の彼が「ラグビー向いてないんとちゃいますか?」と満面の笑みで言ってきた失礼極まりない後輩です。
上下関係の厳しい体育会の部活でこんな失礼なことを言う後輩ですが、23年経った今でも食事に行ける関係だということで僕は彼のことをそれなりにリスペクトしている訳なのですが。
そんな彼は長年勤めた会社を退職し、自分の夢に向けて行動を始めています。自分のルーツのある地域のことを愛し、その地域に対する想いをその事業に乗せて行動しています。
聞いたところ、ずいぶん前からその想いはあったようですが、チャンスがあれば程度に考えていたようです。でも彼の頭の中にはその想いが常にあったようです。
僕がその話を聞いていて思ったのが、彼にとってはその事業こそが「やりたいこと」であったのではないかということです。
僕は以前、やりたいことがあった際にはそのこととしっかり「向き合う」ことが大切だと投稿したことがあったように思います。
彼はそのやりたいことと忙しい毎日を過ごしながら向き合っていたのだと思います。
彼の言葉を借りると、それは「アンテナを常に張っていた」とのことです。
やりたい事業と対して関係のない業界で働いていたけど、常にアンテナは張っていたように思う。だからある出会いがチャンスに大きく繋がった。と話しています。
僕が思う頑張りたいこと、やりたいことと「向き合う」ことってもしかしたら「常にアンテナを張る」ことと同じなのかもしれなません。
それは、チャンスって自分が気づいていないだけで、自分の周りにはたくさんあるのかもしれません。それに気づくためにはそのことと「向き合う」ことで見えてくるのではないでしょうか。また、「アンテナを張っている」から気づけるのではないでしょうか。
更に、そのことと「向き合う」、常に「アンテナを張る」ためにはたくさんのモノを所有していると難しいように僕は思います。
できるだけ頭の中のモノを少なくシンプルにすることで、見えにくいモノも見えてくるだろうし、モノが少ないことで気づけるモノがあるのだと思います。
彼と話していてきっと彼の頭の中はシンプルに「収脳」されているのだなと感じました。だから、大きなチャンスを手に入れ、大きな一歩を踏み出すことが出来たのだと思います。
今彼はコロナ禍の影響を受け、足踏みの状況だそうですが、きっと彼のことだからまたいい方向に進んでいくことだろうと思います。
彼と再会し、やっぱり「整理・収脳」は大切だなと感じる時間を過ごすことが出来ました。
帰り際、彼は僕にこんなことを言いました。
「やせたからか、ずいぶんおじさんに見えますね(笑)」
満面の笑みで言う彼。相変わらず失礼な後輩だなと思いながら、帰って早く寝ようとか考えながら家路を急ぎました。