昨日「消費欲求」にたいする僕の考えを投稿させて頂きました。
僕の考えといっても、どうすれば「消費欲求」を抑え込むことが出来るのか難しいなあということをボヤいていただけなのですが...。
でも、自分のその時思っていることを文章にし、書き綴ることで自分の考えていることや思っていることが少し明確になるような感じはします。
過去の自分や今の自分が考えていること、思っていることに気付けるような感じです。
書くことにより、じっくり自分と向き合うことが出来る、じっくりそのことと向き合うことが出来る。40歳を過ぎてから書くことの大切さや自分に与える影響力の大きさを痛感しています。
もっと早くこういった事を始めていたら、今の自分とは違った自分になっていたかもしれないなあと思ったりもしています。
それは良い意味で変わったかもしれないと思う反面、そうではない場合もあるのかもしれないと思ったりもします。
恐らく、以前の僕はこういったブログを書く時間がないくらい忙しかったように思います。
朝家を出る時間も早かったし、夜も今では考えられないくらい遅い時間に帰宅していました。
今のようにブログを書く時間なんてとても取れないくらい忙しい状況でした。
働いている時間だけでなく、常に仕事の事を考え、常に何かに追われているような状況でした。いつも不安を抱え、いつも得体の知れない何かに追われているような感じでした。
今となってはそれもいい思い出になっているし、そういった過去の自分があったから今の「心地良い暮らし」があると思えるようになっていますが、当時の僕は「心地良い暮らし」なんて考える余裕なんてありませんでした。
当時の僕が今の僕を見ることが出来たら、どんなことを考えるのでしょうか。
もしかしたら腹を立てるかもしれないし、もしかしたら尊敬の眼差しで見るのかもしれません。
でも、過去の僕が今の僕を見ても大きく変わることはないようにも思ったりもします。
それは、過去の僕は目の前のことに必死になっていたからです。
将来こうなりたいやここまでは頑張るといった感情はなく、ただただ目の前にあることに全力で取り組んでいたからです。
それが大切だと思っていたし、だからこそ得ることが出来たモノもたくさんあったように思います。
当時若かった僕が必死に頑張っていたからこそ得た信頼もあっただろうし、必死に頑張ったからこそ得ることが出来た経験もあったように思います。
若い頃、めちゃくちゃ怖い建築現場の現場監督のおじさんに、何度も怒られていた僕。社外の人に怒られるなんて余程のことだと思います。
でも、そんな状況でも必死に要求されることに応えようとしたり、必死にもがいて状況を良い方向に持っていこうとしていました。
その結果「若いのによく頑張っとるな。」という言葉を貰うことができ、とても嬉しい気持ちになったことを今でも覚えています。
きっと、必死だったからこそ得ることが出来た経験だろうし、必死だったからこそ得ることが出来た信頼だったように思います。
今の僕は物事に取り組む際には「20%の余裕」が必要だと思っていますが、当時のぼくには20%の余裕どころか、120%の全力を自分に求めていたような状況でした。
そんな状況だったから得ることのできた経験や信頼でした。そして、若いからこそ許される120%の全力だったように思います。
今の僕が当時と同じように余裕を持たず、周りも見ずに常に全力で取り組んでいたらどうなるでしょうか。
きっと当時と同じようにミスも多くなるだろうし、人にストレスを与えるようなことも増えるように思います。
若いからこそ許されることだと思います。いい歳したおじさんが若い人と同じようなことをしていても「いい年しているのによく頑張っとるな。」とはならないように思います。
若いからこそ許される120%の全力。そして、そこから得られる経験や信頼は、若いからこそ得ることが出来るモノだと思います。
そして、僕はそういったモノを若い時に得ることが出来でいたのだと思います。だからこそ今の「心地良い暮らし」があるのだと思います。
物事への向き合い方はその時々で変わると思います。少し違うかもしれませんが、目の前にあることと常に向き合うことを過去も今も行っています。
そして、今は向き合ったことを文章に綴ることで、更に自分の考えや思いを明確に出来るようになってきました。
そしてそれが、「整理・収脳」に繋がっているのだと思います。
これからも日常で起きる様々なことに対して感じること、思うこと、考えたことをこのブログに綴っていこうと思います。