話を聞かない人...。
そういった人とは、僕はあまり良い関係を築くことが出来ないように思っています。
僕ももしかしたら人からそう思われているかもしれませんので、自分に言い聞かせる意味も込めて今日の投稿を書こうと思います。
僕は会議が嫌いです。それは、人の話を聞こうとしない人が数名いるからです。
自分の意見や思いを押し通すために、人の意見や思いに耳を傾けることをしない、そんな人が数名いるために会議は意見を交わす場ではなく、意見のぶつけ合いの場になってしまっています。
もしかしたら、相手の話は聞いているのかもしれません。でも、聞いてはいるけど始めから意見を受け止める気はないというか、話を聞きながら、相手の意見に対する返しを考えて聞いているような感じです。
そんな会議が僕は嫌いです。
そういった姿勢で聞くことは、相手へのリスペクトや尊重の気持ちが全くなく、互いに信頼関係を築くことは難しい状況になるように思います。
僕はそれは話を聞いていないに等しい行為のように思っています。
僕は話を聞くときには相手の目を見て全力で聞くことに徹することが大切だと思っています。メモを取ることに集中することなく、相手の話すことを受け止める。
そういった姿勢を持つことで相手との信頼関係を築くことに繋がると考えています。
でも、それはあくまでも信頼する相手の場合であって、前述した、相手の話を始めから聞こうとしない人、自分の意見や思いをむりやり押し通そうとする人に対してはそういった姿勢をあえて取らないこともあります。
何故かというと、勘違いさせてしまうからです。
人の話に耳を傾けない人は、きっと「自分の考えは間違っていない」という思いを強く持っているのだと思います。そういった人が多いように思います。
そういった人に対して、共感の姿勢と、間違って捉えられる行為をしてしまうと、どんどん「自分は間違っていないんだ。」と勘違いされてしまうことがあります。
以前、いつものように言い合いが行われていた会議の場で手を挙げて意見をしました。
それは僕が思う、僕の意見を言っただけでした。しかし、会議が終わった後、ある人が僕の近くに寄ってきて肩を組みながら、「ありがとうございます。めっちゃ嬉しかったです。」と言われたのです。
何に対しての感謝の言葉かは大体わかります。きっと意見がぶつけ合っている中で、僕が発した意見が自分側の意見だと感じたのでしょう。
それが、僕があたかも味方してくれていると勘違いされたようでした。
僕はどちらの味方でもありません。僕は僕の思う意見を言っただけです。
でも、ただただ意見をぶつけ合う会議の場では、僕の意見を純粋に聞いてくれるのではなく、意見の合わない人を打ち負かすための一つの手段として捉えらられていたのです。
それは、僕に対する尊重の気持ちが薄いように感じました。僕の話を全力で聞いてくれているように感じることができません。
自分の都合の良い部分だけを聞き、それ以外は切り捨てる。そのように感じました。
それは人の話を聞くことが出来ていないように思います。
だから、そういった勘違いをしてしまう人の話を僕自身も全力で聞かないようにしています。
互いに良いことなんか一つもないのかもしれません。
でも、基本面倒くさいことが嫌いな僕はそういった人を自分から遠ざけるようにしてしまっています。
それはもしかしたら良くない事かもしれません。いや、良くない事です。
でも、それを曲げてしまうことは、自分を曲げてしまうことにも繋がってしまうように思います。僕の「心地良い毎日の暮らし」に影響が出るようになると思っています。
ただ嫌だから遠ざけているわけではありません。僕なりにこのことに対しての「整理・収脳」を行った上での判断です。
人の話を聞かない人。僕も人の話を聞かないこともあります。
でもそれは、そのこととしっかり向き合った結果行きついた僕なりの考えです。
「話を聞かない」という行為は同じかもしれません。でも、質は違うと僕は思っています。
そういった1つ1つの行為の質を上げることができるよう、これからも1つ1つのことを「整理・収脳」していきたいと思います。