僕が整理出来なかったコトです...。
そう...こってりで有名な天下一品ラーメン(以下、天一とする)です。
「整理・収納」生活を始めてから、意識的に生活の中の不要なモノやコトを無くしてきました。
目に見えるモノも、目に見えないモノも、自分が行動するコトも、全てとじっくり向き合い「整理」することを意識して生活してきました。
そのモノやコトは自分にとっての「心地良い暮らし」に本当に必要なのか、それを持っていることで後悔することはないのか、そういったことと向き合いながら「整理・収納」を進めてきました。
もちろん、「整理」することに悩むことは多くあります。
そのモノと僕の間にある「物語」に想いを馳せていると、中々処分する決心がつかないこともあります。
考えすぎて本当に自分に必要なモノやコトが分からなくなることもよくあります。
そういった時は、そもそもに立ち返るようにしています。
そもそも、なぜ「整理・収納」を行うのか...。
僕の場合は「心地良く暮らす」ことが、そもそもの目的です。
「整理・収納」をするのは「心地良く暮らす」ために行っている事です。
では、僕にとっての心地良い暮らしとは何か...。
それは...
美味しいお酒や肴をお供に、大好きなラグビーを見ること。
美味しいコーヒーをお供に、ラジオを聞きながら読書をすること...です。
それが出来ていることで「心地良いな~。」と感じることが出来るし、毎日を笑顔で、心に余裕を持って過ごすことが出来ます。
それが邪魔されないような環境にすることが、僕にとっての「整理・収納」だと考えています。
しかし、そのそもそもの目的を果たすために、無理をしてしまうことは良くないことなのかもしれないとか思ったりもしています。
そもそもの目的を意識しすぎたり、その目的だけを見てしまい、視野が狭くなることは良くないことだと思います。
自分にとって必要なモノは何なのか、それとじっくり向き合った結果、必要だと思うモノだけにします。
しかし、そうすることがしんどくなる状況は、決して「心地良い状況」ではないように思います。そんな生活は「心地良い暮らし」ではないように思ったりもします。
僕は、毎日を「心地良く過ごす」ために、必要のないたくさんのモノを処分してきました。
使っていないのにただ持っているモノ、似たようなモノなどなど、たくさんのモノを処分し「整理」してきました。
また、モノだけでなく、たくさんのコトも「整理」してきました。
モノを増やさないようにお店に寄るコトや、してしまうと後悔を抱えてしまうコトなどをしないようにしてきました。それも「整理」だと考えています。
その1つが冒頭に書いた「天一に行くコト」です。
結局、「整理」することは出来なかった訳なのですが、いつも「食べたいな~...」という気持ちを無理やり押し殺して来たように思います。
僕にとって、こってりで美味しい天一は大好きな食べ物の一つです。こってりスープを麺に絡めながら啜り食べる。昔から食べていますが、飽きることのない味で大好きなモノの一つになっています。
そんな天一ですが、「整理」の対象になるモノでもあり、天一に行くコトは「整理」の対象になるコトにもなっています。
何故かというと、食べると必ず後悔を抱えてしまうからです。食べた次の日は確実に体重が増えてしまうからです。
僕が「心地良く過ごす」ためには、そういった誘惑にも負けず、「整理」したモノやコトに振り回されない生活が必須になると思っています。
食べたことで後悔を抱えてしまい、精神的な負担を抱えてしまったり、そんな精神的負担を抱えているのにも関わらず、ラーメン代を支払うという経済的負担も負うことになります。
また、健康的な負担も負うことにも繋がるように思います。
後悔を抱えることのないように、モノやコトとじっくり向き合い、納得した上で「整理・収納」を行うようにすることを大切にしている僕にとっては、天一に行くコトは「整理」の対象になるコトでもあるように考えていました。
そんな僕ですが、天一に関しては何故かいつも頭の片隅にあり、ことある毎に「行きたいな~。」なんて考えるようになっていました。それも割と頻繁にです。
僕は駅までバスで通勤しているのですが、その通り道に天一があります。
その天一が出勤時も帰宅時も毎日のように僕を誘惑してくるのです。
その環境が良くないのかもしれませんが、僕なりに誘惑して来る天一や、その誘惑に負けそうになる自分の弱い心と戦いながら毎日を過ごしてきました。
しかし、我慢をしているからでしょうか、我慢をしていることで逆にその我慢をしているコトばかり考えてしまっているようになっています。
そして、その「整理」は僕を良くない方向へと導いてしまっていたように思います。
「天一を我慢しているのだから、これくらいはいいか。」と他のモノを食べてしまい、後悔を抱えてしまったり...
「天一を数回我慢したのだから、その浮いたお金でなんか買えるかも。」なんてありえないことを考えてしまったり...
40歳を過ぎた中年の親父が何を考えているのでしょう。中学生の子どもがいる父親とは思えない思考になってしまっていたのです。
そんな状況になるのであればと思い、不要と考えて「整理」したことを、思い切って「やっって整理」することにしたのです。
思い切って天一を食べて、食べたいという気持ちを「整理」することにしたのです。
その結果...一言...
「美味」です。
やはり、天一のこってりは最高でした。やはり僕の舌に間違いはなかったように思います。
そして、食べたことで満足感も得ることが出来たように思います。その満足感を得たことで、他のことも今まで通り、不要なことであれば問題なく「整理」出来そうな手ごたえを感じることが出来ています。
僕の考える「整理」とは必要なモノ(コト)だけにすることです。不要なモノ(コト)は処分し、無くしていくべきだと考えています。
しかし、「整理」したと思っていても、いつまでも頭の中や心の中に残るコトであれば、それは「整理」出来ていないコトになるように思います。
そういったコトに関しては、今回の僕の天一のように「やって整理」すべきなのだと思います。
やってしまうことで、その整理すべきコトを整理することが出来るようになると思います。
そしてそれは天一だけではないように思います。いつまでも心や頭に残るコトに関しては「やって整理」することも視野に入れるようにすべきだと思います。
そうすることで、自分の周りは本当に必要なモノやコトだけになるように思います。
それこそが僕の考える「整理・収納」だと思っています。