昨日は睡魔に負けてしまい、途中で書くことを断念してしまいました。
週末の木曜日、そりゃ疲れも溜まっているという事なんです。
長く続けているとそんな事もあるのかな〜なんて思うようにしたいと思っています。
さて、昨日僕は売り手側も買い手側も、感謝の気持ちやリスペクトの気持ちを持つべきだと投稿しました。
そして、今僕が働いている「教師」という職業が軽んじられているという事も書いていたように思います。
教師はある意味「売り手側」、与えている側の人間だと考えています。
目に見える何かを売っている訳ではありませんが、勉強を教えたり、社会生活とはなんぞやといった所を教えているのではないかと考えています。
あくまでも勉強を教えるだけではなく、生活面や集団生活に関わる事も指導しなければならないのではないかというのが僕の「教師」という仕事への考えです。
生きていく上で、僕が大切にしている、必要だと思っている事を子どもたちに伝え、それをこれから先の人生に活かして欲しいと考えているのです。
でも、僕の考えが全てではないと思っているし、僕の考えが100%正しいだなんては思っていません。
正しいとは思っていても、他の人にとっては負担に思ってしまう事もあるだろうし、真逆に考える人もいるのだと思います。
だから、そういった事もあるという視点はいつでも持っておきたいと思っているし、そういった事にも耳を傾ける事が出来る自分でいたいと思っています。
相手の考えや思いをじっくり聞き、それを受け入れる心の余裕は持ち合わせておきたいと思っているのです。
ただ、なんでもかんでも受け入れるというのは違うと思っているし、それをしてしまう事は避けたい事だと思っています。
じっくり聞く事はするけれど、それが本当に正しい事なのか、本当にそれで良いのか、という事とはじっくり向き合えるようにしておきたいと考えているのです。
そしてそれが違うと思う事ならば、「違う」とはっきり言える自分でいたいと考えています。
でも最近は、なんでもかんでも受け入れないと納得しない人が多いように思ったりもしています。
それは大人も子どもも同じです。
要望すればそれが通ると思っているようだし、
それが通らなければ「話を聞いてもらえない。」なんて言いながら、要望を無理矢理通そうとする人がいるのです。
そういった人たちが言いたいのは「話を聞いてもらえない。」ではなく、「言う通りにしてもらえない。」という方が当てはまるのではないかと思ったりもします。
僕は絶対、確実に、100%、話は聞くようにしています。
そしてその話を理解しようとしているし、譲れる事に関しては譲るようにしようと考えています。
そして、自分に間違いがあるのであれば、それを改めたいとも思っています。
ただ、相手の話を聞き、それが理解できない、共感できない事なのであれば、僕は自分の考えを改める気はないし、はっきりと自分の意見を伝えていきたいと考えています。
なんでもかんでも言いなりになるのではなく、ちゃんと吟味した上で、物事を判断したいと考えているのです。
僕たち教師は、なんでもかんでも受け入れる訳ではないし、言われた事に対して何でもその通りにする存在ではないのです。
それは教師だけでなく、他の職業の方にも言える事だと思います。
人は支え合って生きているのだし、その支えてくれている人たちに感謝の気持ちやリスペクトの気持ちは持つべきなのだと思います。
それを買い手側は理解しておかないといけないし、何だったら売り手側も意識しておかなければならないのです。
若い教員なんかは、ついつい言いなりになりがちのように思います。
言われた通りに対応してしまっているし、それで自分に負荷をかけてしまっているような状況になっています。
「無理なものは無理」とはっきり言うべきだし、「それは違う!!」とはっきり言うべきなのです。
それに後ろめたい気持ちなんか持つ必要はないし、むしろそんなブレない姿を見せることにより、軽んじられる事も減るのではないかと思います。
そしてそれが、結果的には良い関係を築く事に繋がる場合もあるように思います。
自分にプライドを持って対応する事により、ブレない自分を作る事に繋がるのです。
なんでもかんでも受け入れるのではなく、無理な事は無理、ダメな事はダメと言える自分でいる事が大切なのです。
そしてそれが自分という人間の価値を上げる事に繋がるのだと思います。