やっぱり僕は自分の事を小さな人間だと思ってしまいます。
というのも、周りの目をすごく気にしてしまうからです。
周りの人から自分はどう思われているのだろう...。
自分はどのように評価されているのだろう...。
自分は嫌われていないだろうか...。
常にそんなことばかり考えているように思います。
小さな時はそんなことなかったと思うのですが、ある事をきっかけに周りの目をすごく気にして生きるようになりました。
小学校4年生の時、クラスの男子全員から無視をされていた時期がありました。
今思えば、今で言う軽いいじめのような状況です。
朝挨拶をしても誰も返事をしてくれない。
休み時間に遊びに誘っても、完全に無視されてしまう。
恐らくそういった状況にしていた首謀者のような子がいたのですが、みんなその子の計画に賛同していたという感じです。
今思い返せば、そういった状況にしてしまっていたのは全て自分に原因があったのだと思います。
周りの事を考えず、自分の思うがままに何でも進めようと考えていた当時の僕。
周りの目なんか気にすることなく、平気で人を傷つける事を言ったり、平気で周りが不快になるような事をしていた子どもでした。
子どもだった当時の僕は、周りからどう思われようが関係なく、自分が楽しいと思える事をただただ自己中心的に行っている、そんな子どもだった様に思います。
そんな僕に周りの子どもたちも嫌気がさしていたのだと思います。
定年間近の女性担任も、そんな僕に困っていただろうし、扱いにくい子どもだと感じていたことだろうと思います。
今でも鮮明に覚えているのですが、ある学級会の時間に、教室の前に一人立たされ、みんなから思っている事を言われ続けるという時間がありました。
クラスみんなの僕に対する不満をぶつけるという時間です。
ひとり前に立たされ、言葉の機関銃で打ちまくられるような時間。
今そんな事をしたら、大きな問題になるような事だと思うのですが、時代なのでしょうか、当時ではそんな事が平気で行われていたのです。(そんな事ないかもですが...)
恐らく、当時でも僕が家に帰って両親に話せば、それなりに大きな問題になっていたのかもしれませんが、当時の僕は家でそんな事は話すべき事では無いと考えていたように思います。
両親に対して心配をかけたくない気持ちや、もしかしたら怒られるのかもしれないという気持ちを抱えていたのだと思います。カッコ悪いという気持ちもあったのかもしれません。
結構なダメージを受けていたと思うのですが、それを一人で抱え、次の日も何もなかったように学校に通っていました。
ある意味精神的に強かったのかもしれないし、ある意味無神経だったように思います。
長い目で見れば、良い勉強になった時期だったのかもしれません。
当時担任だった定年間近の女性教員。なかなかリスクのあることをしたもんだなと感心したりもします。もしかしたら冷静な判断が出来ないくらい僕に手を焼いていたのかもしれません。
安らかに教師生活を終えたいと考えていただろう教師に、最後の最後に僕というとてつもない爆弾を抱えさせたしまった事に申し訳なさを感じたりもしています。
ただ、場合によっては1人の子どもの将来を左右するような対応に、僕はそんな教師にはなりたくないと今思っています。
ある意味精神的に強い、ある意味無神経だった僕だったから乗り越える事が出来たことなのかもしれません。教師になった今の自分はそういった対応を取らないようにしたいと考えています。
そういった経験がきっかけとなり、周りの目を気にする人間になったのだと思います。
4年生の時くらいから、自己中心的ではダメなんだ、周りの事も考えないと駄目なんだ、という事に気づくことができ、周りの目を気にするようになったのです。
気にするというか、気にし過ぎる自分になっているようにも思ったりもします。
いつも周りの目を気にしているし、気にし過ぎて自分の思う事を言えない、出来ない場面もあったりもするくらいです...。
いや...
違う...
そんな事を考えている人が、遅くまで残っている人を横目に定時で職場を出る事は出来ないのではないか...今書きながらそんなことに気付き出しています。
書くことで自分の表面的な部分だけでなく、こういった深い部分まで気づくことが出来るのだと思います。
今朝このブログを書き出した時の僕は、間違いなく自分は周りの目を気にし過ぎていると思っていました。
書いている途中もずっとそんな事を考えていました...
が!!しかし!!!
書く中で冷静に考えると、そうでもない大人になった自分もいるように思います。
今の僕は恐らく周りの目を気にせず、自分が大切にしたい事を第一に考えて生活しているのではないかと思います。
自分にとって心地良いと思える時間を取れるように、仕事を早く切り上げるようにしているし、朝も職場の警備員さんに負担を抱えさせながら出勤しているし、たくさんの人に負担を掛けながら、思うがままに自分が大切にしたい事を大切にしているように思います。
そんな僕が、何が周りを気にし過ぎているんだと思ってしまいます。
結局僕は4年生の頃から大して成長していないのかもしれません。
ただ、周りの人の事を少しは意識するようにはなっています。
自分が100%の状態が良いというのではなく、自分は80%位で、残りの20%は他の人の幸せに使っても良いのではないかと思えるようになっています。
社会で生きていく中では、そんな20%位の気遣いは持っておくべきなのかもしれません。でもそれ以上に、自分の事を大切にすることも大切にしていくべきなのだと思っています。
それは100%では少し多いように思います。社会の中で上手に生きていくためには、80%位が丁度良いのかもしれないとか思います。
子どもの頃の僕は自分が100%だったのだと思います。だから、周りの人から機関銃でめった打ちにされたのだと思います。
それは凄く悲しい事だし、場合によっては一生抱える事になる傷を負う事に繋がるのだと思います。
本当はそんな社会は凄く寂しいと思いますが、現実の社会はそうではありません。
ある程度は社会に合わせる事が必要だし、それが80%の満足なのだと思います。
話は随分反れてしまったかもしれませんが、僕は周りの事をすごく意識する小さな人間だと思っています。
でもそれは決して悪い事では無いのかもしれません。
そして僕は周りを気にせず、自分が大切にしたい事を大切に出来る一面も持ち合わせている人間なのです。
そんな自分を肯定的に思うべきだろうし、もっと大切にしてもいいのかもしれません。
書くことで気付けることはたくさんあります。
そんな事に気づかせてくれるこのブログも、自分と同じくらい大切にしていきたいと思います。