整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

出来るときにする!!

「出来るときにする」

簡単なようですごく難しいことです。

大人になった今でも「出来るときにする」ことが出来ておらず、「しておいたら良かった~。」と後悔することが多くあります。

仕事でもプライベートの時間でもです。

この年になって(今年41歳)、人はいつどうなるか分からないという事を少しずつ意識するようになってきました。

そんなことを考えるなんて早すぎるのかしれませんが、男性の平均寿命は80歳くらいでしょうか。そう考えると僕はもう人生の折り返し地点まで生きているのです。

僕が生まれて40年。この40年間がもう1セットある。そう考えれば少し意識も変わるように思います。

まだ1セットある、もう1セットしかない、考え方は人それぞれなのかもしれませんが、僕は後者の方で、もう1セットしかないと考えています。

もしかしたら最後の10年間位は今程元気に動いたり、活動することは出来ないのかもしれません。今から健康に気遣いながら生活をしたとしても、今のように元気に動くことが出来るのは30年間位なのかもしれません。

そう考えると、僕の人生の中で元気に色んなことにチャレンジ出来るのはあと30年間しか残っていないのです。

人はいつどうなるのか分かりません。明日突然...という事も十分あり得る話だと思っています。

僕は今一人で暮らしていますが、この暑い時期に家で一人でぽっくり...なんてこともあり得ます。それは凄く怖い事だなと思います。職場の上司1人にだけこの家庭の状況の事は話しているから、僕が出勤しないときっと気にかけてくれることだろうと思います。でも、夏休みなどの長期休みの時だったらどうなるのだろうと考えたりしています。

そんなネガティブなことを考えている僕ではありますが、そんなネガティブな事は十分あり得ることで、視界に入れておかなければならない事だと考えています。

そして、その視界に入っている起こりえる事を、「出来るときにする」という事に繋げなければならないと考えています。

人はいつかは亡くなる生き物です。それはどんな立派な人でも、どんなお金持ちの人でも避けることが出来ない事です。

それを意識して生活することで「出来るときにする」ことが出来るようになるのだと思います。その思考に繋げることが出来るのです。

「また今度でいいや」や「いつでも出来るか」という思考は、きっと時間は無限にあるという考えが根底にあるからです。でも時間は無限にはありません。それは老若男女全ての人に言えることです。

「出来るときにする」というのは終わりがあるという事がある程度視界に入っているから行きつく思考のように思います。

自分が死ぬなんて考えることはすごく怖い事なのかもしれないし、四六時中考えることは良いことではないのかもしれません。でも、頭の片隅に置いておくことや視界のどこかに捉えておくことはとても大切な事のように思います。

それが出来ていると何か判断に迫られたときに、「出来るときにする」という判断が出来るようになると思います。

人はいつかは亡くなる生き物です。それは誰もが避けることが出来ない事です。

だからこそ、一つ一つの物事を大切にしなければならないし、残された時間で出来ることはその時にするべきなのだと思います。

本当に必要なモノだけに囲まれるように、自分にとって必要なモノを大切に出来るように、思考を「出来るときにする」に向けていきたいと思います。

後回しの思考を...

物事はどんなことでも「後回し」にはしない方がいいと思っています。

それは「整理・収納」でも言えることで、思い立った時に「整理」したり、「収納」したりすることがモノの散乱やモノの増加を防ぐ事に繋がります。

それを徹底しようと考えている僕ではありましたが、やってしまいました...。

一週間程前に知人からある資料を郵送するよう依頼がありました。

もちろん自分にとっても必要なことでもあったので、しなければならない大切な事でした。

ただ、その時は他にしなければならない事があったように思います。優先順位を考えた結果、その資料の郵送は「別の日で良いか。」となったのでした。「後回し」にしたのです。

それがそもそも間違いでした...結局その知人へ郵送することを「後回し」にしたことで、頭の中からすっぽり抜けている状況になってしまいました。

そして、昨日知人から「例の資料の期限は明日までですが、郵送はして頂けましたか?」と連絡がありました。

「...忘れてた。」僕としたことが完璧に頭の中から知人からの依頼が抜け落ちていたのです。

落ち度は100%僕にあります。一週間という猶予があったのにも関わらず、「後回し」にしたことでこの状況を招いてしまったのです。

結局、期限があるということから、知人宅へ届けに行くことになりました。時間休を取ることも考えましたが、その日は放課後に打ち合わせの予定が入っていたので、早く退社することも出来ない状況でした。しかも、昨日は結構な雨が降っていました。

雨の中、一旦家に帰り、その資料を取ってコンビニへコピーを取りに、そしてそこから知人宅へバスを乗り継いで向かいます。

知人宅に着いたのが19:30。玄関先でその資料を渡してすぐに自宅へ戻りますが、バスを乗り継いで自宅に着いたのが20:30になっていました。

早寝を習慣化している僕。21:00には床につくことを目指している僕にとっては絶望的な時間の帰宅になってしまいました。

しかも悪いことは重なるもので、洗濯物もしなければならない状況でした。

「明日でもいいかな~。」なんて考えてしまっている自分がいます。しかし、これを「後回し」にすると明日以降にそのシワ寄せがいってしまう...。

そんな「後回し」にしようとしている自分に気付きます。こういった「後回し」にしようとする思考がこの状況を生み出していたのです。

この「後回し」の積み重ねが生活の乱れを招いてしまうのです。

一つの「後回し」があることで、生活のリズムは大きく崩れてしまいます。今回の僕であれば知人への資料の郵送を「後回し」にしたことで、他のしなければならないコトにシワ寄せがいってしまいました。

結局昨日はしなければならない事を「整理」するために、寝る時間を大幅にずらすことになりました。昨日に限っては22時の就寝になりました。(それでも早いっちゅうねんという話ですが...)

「整理・収納」においても今回のようなことは多くあるように思います。

机の上で仕事をしています。机の上での作業には様々なモノが必要になります。ただ、使ったモノをすぐに定位置に戻さないと、モノはすぐに散乱します。

面倒だけど使ったモノはすぐに定位置に戻すことで、モノの散乱を防ぐ事が出来ます。使わないのにボールペンが机上にあったり、ハサミやホッチキスが机上にあったり。そういった状況になると心が落ち着かなくなります。

視界の中にたくさんのモノがあることで、心が落ち着かなくなり、物事に取り組む集中力が低くなります。そして出来上がるモノの完成度が低くなってしまいます。

ミスが多くなったり、見落としが多くなったり。そしてやること自体を忘れてしまうという状況にもなります。今回の僕のように...。

何か一つを「後回し」にすることは、他の「後回し」に繋がります。そしてそれは自分に返ってきます。

「後回し」の思考を「出来る時にする」という思考に変えるために、日々の「整理・収納」も出来る時にしていくことを心掛けようと思います。そしてそれを「整理・収脳」にも繋げたいと思います。

「整理・収納」における視覚化の重要性

「気付いたら増えていた!!」

僕にとってその代表的なモノが「体重」です。

油断しているとすぐに増えてしまいます。2、3日暴飲暴食を続けてしまうと見た目にも分かる位になってしまいます。

学生時代に本格的な運動クラブに入っていた僕。当時と同じような感覚で飲食をすると、アッという間に体重は増えてしまいます。

消費するカロリーも多くあった20年前。当時と比べると運動量もずいぶん減っています。当然、食べる量と運動量のバランスを考えなければならない状況になっています。

だからこそ、今の僕は「体重」というモノの管理に気を付けなければならないと考えています。

過去の僕であればそんなに気にしなくても増えることはあまりありませんでした。でも今の僕は油断すると増えてしまう...。

過去の僕は体重に関してはある意味「整理」が出来ていたのだと思います。

ある程度の体重を維持しなければならなかった当時の僕。たくさんトレーニングをして、たくさん食べる。そうすることで自分にとってのベストな体重を維持することが出来ました。どちらかだけだとバランスは悪くなります。

たくさんトレーニングはしているけれど、食べる量が減ると体重は減り続けていきます。

たくさん食べるけれど、トレーニングの量が少なかったら体重は増え続けていきます。

レーニングの量と食べる量とのバランスがとても大切でした。

そして、食べても食べてもある程度の体重を維持できていたのはトレーニングをしていたからです。摂取した分が脂肪ではなく、筋肉として体に残っていたのはトレーニングをしていたからです。

それはある意味、必要のない脂肪分をトレーニングすることで「整理」出来ていたのだと思います。激しいトレーニングにより、必要な筋肉だけを体に残すことが出来ていたのだと思います。

では今の僕はというと...当時のような激しいトレーニングが出来る時間を取ることは出来ません。そして気力もないように思います...。

仕事で忙しい毎日、家に帰ってから2時間も3時間もトレーニングをする気力は僕にはありません。今そんなことをしてしまうと、たぶん2、3日後にはぶっ倒れてしまうように思います。

では今の僕が体重の管理で出来ることはというと...食べる量をコントロールすることだと思っています。学生時代のように運動する時間が取れないのであれば、食べる量を減らす、「整理」する以外にはありません。

先述した通り、ある程度の体重を維持するためには運動量と食べる量のバランスがとても大切になります。そのバランスを取るためには今の僕であれば「食べる量」をコントロールするしかないように思います。

それが出来ていなかったのが、大学卒業後の20代の僕でした。

極端に運動量が減った当時の僕。運動量は減ったのに飲食する量は学生時代と変わらない量だったように思います。朝から甘い飲み物と甘いパンをたくさん食べたり、昼食には脂っこいモノをたくさん食べたり、遅い時間に脂っこいモノとお酒をたくさん飲んだり...そんな毎日を過ごしていました。

気付いた時には、体重もえらいことになっていました。10kg以上増えているような状況でした。それは健康的にも精神衛生的にも良くなかったように思います。

今現在は意識的に食べる量をコントロールするようにして、食べる量を「整理」するよう心掛けています。そのおかげで体重も一番多い時から14kg程減り、ベストではありませんが、ある程度キープすることは出来ています。(あと3kgは減らしたいかな~とか考えています。)

そして、体重計に乗ることも習慣化しています。目に見えにくい体重というモノ。鏡で自分を見る以上に、体重を数値化することで視覚化することが出来ます。そうすることで現状の自分を把握しやすくすることに繋がったり、危機感を持つことに繋がるのだと思っています。

目に見えないモノを視覚化することで、モノの増加を防ぐことに繋がります。

それは体重たけではありません。全てのモノに言えることだとおもいます。

「整理・収納」において視覚化することはとても大切です。出来るだけ目に見えない頭の中のモノ、思考も体重と同じように視覚化していきたいと思います。

とりあえずをやめた週末

日常の潜む「とりあえず」。それを整理することを意識して過ごした週末でした。

とりあえず、テレビをつける。

とりあえず、スーパーに行く。

とりあえず、電車に乗って出かける。

そんな感じのたくさんの「とりあえず」と一旦向き合うことを行いました。

本当に必要なコトなのか、他にすべきコトはないのか、そんなことを考えながら過ごしました。

そして、向き合った結果いくつかの「とりあえず」を整理し、その整理した時間に他のしなければならない事を行うことが出来ました。

洗濯であったり、掃除であったり...面倒で後回しにしたくなることを早い時間に「整理」することが出来ました。

また、とりあえずをやめたことで空いた時間ができ「何か出来ることはないかな~。」という思考になっていました。そして、冷蔵庫の中を覗き、食材の整理を行うことが出来ました。事情があり大量に残っていたジャガイモと少しだけ残っていた人参を使ってポテトサラダを作りしました。

僕は食材に関しては「消費して整理」することを徹底したいと考えています。その食材や、生産している人、運搬する人、販売する人へのリスペクトの気持ちを忘れずにいたいと考えています。だから大量に買うことはせず、消費できる分だけを買うようにしています。

もし、腐らせて捨ててしまうことがあった際には、僕自身が自分の持ち物の管理が出来ていないことになります。「整理・収納」を大切にしたい僕の考えを否定する行動になってしまいます。その観点からも「消費して整理」することは大切にしたい事だと考えています。

いつもの週末なら朝の時間をダラダラ過ごしてしまいがちです。見たい番組もないのにテレビをつけ、「面白くないな~。」とか思いながら用事もないのにスマホをいじったり、そして気付いたら寝てしまっていたり、そして「なんだったんだろう...」という後悔の気持ちを抱えてしまっていました。

やるべきことから自分を遠ざけ、とりあえずどうでもいい何かをしてしまう。そんな週末を過ごしていたから後悔を抱えたり、充実感を感じることが出来ていなかったのだと思います。

とりあえずスーパーに行って必要もないのにお惣菜を買ってしまう。とりあえず電車に乗ってお出かけをして無駄に浪費をしてしまう。

とりあえずの行動から得ることができるモノに、良いモノはそんなにないようにように思います。逆に後悔が残ってしまったり、無駄なモノが残ってしまったりするように思います。そして、必要なモノが自分から離れてしまいます。

昨日「とりあえず」していることをやめて、その時間に食材の整理を行ったことで、美味しいポテトサラダを残すことができました。そして食材の整理が出来たという達成感や満足感が残りました。

他にも、たくさんの読書の時間を取ることができ、本の世界にどっぷり浸かることが出来たという満足感や充実感を残すことが出来ました。

いつもと違うポジティブな気持ちになれる週末を過ごすことが出来たのは「とりあえず」していることと向き合ったからです。そしてその「とりあえず」を整理したからです。

自分にとって本当に必要なモノは何なのか、大切にすべきことは何なのか。それを把握するためには、「そもそもに立ち返ること」と「とりあえずを整理すること」だと思います。

そんなことに気付かせてくれた週末になりました。

無意識の「とりあえず」

「とりあえずテレビ」をやめた昨日。

「とりあえずテレビ」とは、見たい番組があるわけでもないのに、とりあえずテレビを付けチャンネルを回すことです。そして「面白くないな~。」とか思いながらだらだら見てしまうことです。

昨日はその「とりあえずテレビ」をやめた訳なのですが、その本来テレビを見ていた時間にしなければいけない事を「整理」することが出来ました。

洗濯機の中に入っている溜まった洗濯物を回し、それを干したり、面倒くさい掃除機をかけたり、どちらかというと面倒でネガティブなコトを「整理」することが出来ました。

そして、読書をする時間もじっくり取ることが出来ました。

僕は読書は好きですが、読書も割と体力を使うことです。いざ家で「読もう!!」となる場合、「読むぞ!!」という心構えが必要になると思っています。リラックスしているというよりかは、ある程度心の準備が必要な感じです。

そんな読書の時間を通して、本の世界にどっぷり浸かることが出来ました。

「とりあえずテレビ」をやめたことで、いつもとは違う充実した休日の時間を過ごすことが出来たように思います。そして、「とりあえず」何かをすることの危険性も感じることが出来たように思います。

人は生活していく中で「とりあえず」何かをすることが多くあるように思います。

僕の日常にも「とりあえず」がたくさんあります。

昨日整理をしたテレビをつけることもとりあえずの一つです。他にも、朝起きたらとりあえずスマホを見る。とりあえずSNSを見る。職場についたらとりあえずをコーヒーを淹れる。家に帰ってきたらとりあえずお酒を飲む。他にもたくさんのとりあえずがあるように思います。

これらの「とりあえず」は無意識に行っていることのように思います。こうしたいという思いや、行う必要性があってしていることではないように思います。何か目的があってしていることではなく、無意識にルーティーン化しており、無意識にとりあえずしていることではないかと僕は考えています。

それは行動だけではなく、持ち物にも当てはまることでないでしょうか。

とりあえず持っている、とりあえず置いているといったモノがたくさんあるのではないでしょうか。「整理・収納」を心掛けている僕でもそういったモノがまだまだあるように思います。

どこかに出掛ける際にも、とりあえず持っていこうとしているモノがあるように思います。そのモノが本当に必要なのか、使う機会はあるのかという事とじっくり向き合うこともせず、とりあえず持ち歩いているモノがあるように思います。

そうやって「とりあえずのコトやモノ」はどんどん増えていくようになるのです。行動だけでなく、持っているモノにも当てはまるし、持ち歩くモノにも当てはまります。

昨日僕は「とりあえずテレビ」を整理しました。それはテレビを見ることとじっくり向き合った結果、必要のないモノと判断したからです。充実した休日を過ごすことが出来ていないという事をずっと抱えており、何とかしたいと問題意識を持っていたからです。そしてそれを解決したいと考えていたからです。

そして、その「とりあえず」を「整理」したことで、面倒かもしれないけどしなければならないコトを「整理」することが出来ました。

そして、それが心を落ち着けることに繋がったように思います。それは目に見えない思考も目に見える環境も同じだと思っています。

こういった積み重ねが充実した時間を作るのかもしれません。そしてそれが「心地良い時間」に繋がるのかもしれません。

とりあえずしている行動だけではありません。とりあえず持っているモノ、とりあえず持ち歩いているモノを「整理」することで、本来大切にしなければならないコトやモノを大切にすることが出来るのだと思います。

無意識の「とりあえず」ではなく、それが本当に必要なのかということを意識して一つ一つのコトやモノと向き合うことが大切だと思います。

「とりあえずテレビ」を整理

今日は仕事が休みです。

昨日、休みの日も社会からの影響を少なからず受けていると投稿しました。テレビやラジオからの刺激です。双方向によるコミュニケーションから生まれる刺激というよりかは、一方からの一方的な刺激です。

平日は仕事の中でたくさんの人たちとコミュニケーションを取ります。僕であれば主に子どもたち。そして、授業が終われば職員室にいる同僚です。そしてたまに保護者とのコミュニケーションもあります。

そういった関わりの中から良いも悪いもたくさんの刺激を受けることになります。その刺激を受けたことにより、朝は持っていなかったたくさんのモノを家に持ち帰ることになるのです。そして割と高い確率(ほぼ100%)で朝よりかは攻撃的な自分になっているように思います。

それは仕方のない事なのかもしれません。社会で生きていくためには人との関りを避けることは不可能だと思います。平日だろうが休日だろうが、人はたくさんの人に支えられながら生活をしています。

僕が今こうしてパソコンでブログを書くことが出来るのも、安定して電力を供給してくれる電力会社の人たちがいるからです。

インターネットを快適に使えるのも、回線業者が安定して回線を提供してくれたり、プロバイダーのサービスがあるからです。

キレイで大きな画面でブログを書くことが出来るのも、パソコンを作っている会社の人たちやそのパソコンを販売してくれる人たちがいるからです。

そういった人たちの上に僕の「心地良い暮らし」は成り立っているのです。

だから、僕が日々たくさんの刺激を受けていて、攻撃的な自分になっているという事は少し傲慢な考えなのかもしれません。もう少し支えられている人たちへの感謝の気持ちを持った方が良いのかもしれないとか思ったりしています。

さて、そんな事を考えている休日の僕ではありますが、休日の過ごし方に課題があるとここ最近ずっと考えています。

だらだらと過ごしてしまうことや、がっつり昼寝をしてしまうこと、食べ過ぎてしまうこと、無駄遣いをしてしまうことなどなど、たくさんの後悔を休日に抱えることが多くあります。

そんな僕にとっては毎日を「心地良く過ごす」ためには休日の過ごし方の充実は喫緊の課題であると考えています。

そして、色んな過ごし方のパターンを模索し、実行しているのがここ最近の僕です。

そして、今日は新たなパターンとして朝からあることを実行しています。

それが...

「テレビをつけない」ことです。

ここ最近の僕の休日の過ごし方を振り返ってみると、一日中ソファーの上でゴロゴロしていることが多いように思いました。そして、テレビを一日中見ているような感じになっています。

お目当ての番組があるわけでもなく、とりあえずテレビをつけてチャンネルを回す。特に見たい番組がないようであれば、有料チャンネルを付けて映画を見る。ここでも特に見たい映画があるわけでもないので、結局は興味のない映画を途中まで見て、「もういいか...」となるか、いつの間にか寝てしまい、気付いた時にはエンディングが流れているといった状況が続いています。

そして、「何してたんやろう~...」とテンションが下がってしまうような休日を過ごしていたのです。そして少なからず攻撃的な自分になってしまっているような感じになっているのです。

今日は朝からそんな事を考えていました。

僕はそれを「整理・収脳」と呼んでいます。頭の中でシュミレーションを行い、頭の中のモノを自分にとって必要なモノだけにし、そのモノを使いやすく頭の中の分かりやすい場所に「収納」する。

それを行った結果、僕にとって「テレビを見ること」は必要ないモノと判断し「整理」することにしました。

それは別にテレビを見ないと決めた訳ではなく、見たいモノがないのであれば無理に着けないでおこうと決めただけです。現にこの後、ラグビーの日本代表の試合があります。それはがっつり見ようと考えています。

あくまでも、見たいモノがあるわけではないのに、だらだらとテレビを見ることをやめようと決めただけです。「とりあえずテレビ」を今週はやめておこうと決めただけです。

そうすることが僕にとっての「心地良い時間」繋がるのかは分かりません。でも、充実した休日の過ごし方を見失っている僕にとっては試してみる価値はあるコトだと思っています。

今日は朝からテレビを見ていない代わりに読書をしたり、洗濯物を片付けたり、ついつい後回しにしてしまいがちな掃除機をかけたりしました。

いつもならだらだらテレビを見ている時間。その時間にやるべきことを「整理」することができ、今のところ充実しているように思います。

休日の時間はまだまだたくさん残っています。残りの時間も充実した時間になるように、日曜日の夜に「明日から頑張ろう!!」と思えるように過ごしていけたら良いなと思っています。

朝の時間

朝の時間を使って書いているこのブログ。

朝の時間の方がじっくり、ゆっくり自分と向き合うことが出来ると考えています。

夜帰ってきてからだと、どうしても少し攻撃的な自分になってしまっているように思います。イライラしていたり、モヤモヤしていたり...朝の時間よりもたくさんの感情を抱えてしまっているように思います。

それは一日たくさんの人と関わる中で、たくさんの刺激を受けているからだと思います。

たくさんの人と関わる中では、思い通りにいかない事や意見が合わない事はたくさんあるように思います。明確にそれを感じることもあれば、そうでない場合もあります。何とも思っていない事でも、実はストレスに感じていることがあるのではないかと思います。

そういったことが夜の攻撃的な自分を作り上げているのではないかと考えています。

そんな夜の時間にこのブログと向き合っても、ゆっくり、じっくり自分と向き合うことなんか出来ず、自分の思いや考えを上手く言葉にすることが出来ません。逆にこのブログを書くことがストレスになってしまう場合もあるように思います。

仕事をしていてたくさんの人と関わる忙しい平日に関しては絶対そうだと考えています。

では休日はどうかというと...

僕は休日は一人で過ごすことが多いです。誰とも関わることもなく一日を過ごすこともあるくらいです。

そんな休日を過ごしていても、やはり朝の自分の方が穏やかなような気がします。誰とも会わず、誰とも関わることがない休日なのに、夜は朝と比べると少しだけですが攻撃的な自分になっているような気がします。

それは、直接誰かと面と向かって会うことはしていないのかもしれませんが、テレビなどから受ける影響があるからではないかと考えています。また、僕であればラジオをよく聞くので、そのラジオから受ける影響もあるのではないかと思っています。

だから結局、人と会うことがなくても社会との繋がりを遮断することは出来ない世の中になっているのだと思います。

仕事をしていてたくさんの人と関わっていようが、家にいて誰とも会うことがなくても結局は社会からの刺激は多かれ少なかれ受けているように思います。

と考えると、やはり朝の時間というのは僕にとってとても大切なように思います。睡眠状態から目が覚めて、心身ともにスッキリしている朝の状態はとても貴重なモノだと思います。

忙しく過ごす平日だけでなく、ゆっくり過ごす時間がたくさんある休日でも結局は社会からの刺激を少なからず受けてしまうのです。

だからこそ朝の時間をこれからも大切にしていきたいと思います。

人にとって時間の使い方はとても大切だと思います。誰にでも平等にあたえられている時間。その時間を有意義に使えるように、自分にとって必要なモノ、不要なモノを見極めていこうと思います。

そして同じ時間を過ごす中でも、充実した時間をすごせるようにしていきたいと思います。その時間が今の僕にとっては朝の時間だと考えています。