僕は「しゅうのう」に関しては「収納」と「収脳」があると考えています。
僕の定義する「しゅうのう」はモノの定位置を決め、そのモノを使いやすくすることです。
そして、目に見えるモノの「しゅうのう」が『収納』、目に見えないモノの「しゅうのう」が『収脳』というように使い分けています。
別に使い分けることに大きな意味はありません。ただ、目に見えない頭の中のモノに関しては「収脳」の方が語呂も良いし、しっくりくるように思うから使っている僕の造語です。
この「収納」と「収脳」には強い繋がりがあり、どちらもなくてはならない存在になっていると考えています。
ただ、生活を整えたり、生活を良くしていくためには「収納」から行っていくべきだと考えています。
それはなぜかと言うと、その方が「簡単」だからです。
目に見えるモノは色や形、大きさなどを捉えやすいのが特徴です。目に見える分、どこに置くのか、グルーピングするならどの分類かなどを決めることが容易に出来ます。
それに対して、目に見えないモノは色や形、大きさが捉えにくいです。また、自分の置かれている状況や環境により、そのモノ自体の状態も変わってくるモノのように思います。
元気な時はさほど気にしない小さなモノも、気持ちがネガティブな時にはそのモノが大きなモノに変わり、自分を大きく支配することがあるように思います。
そして、それは一つだけではなく、頭の中には様々なモノが入り乱れている状況にあるのです。様々なモノが絡み合っているような状況です。
だから、目に見えるモノが対象になる「収納」の方が、目に見えないモノを対象とする「収脳」よりも比較的簡単に「しゅうのう」することが出来るのではないかというのが僕の考えです。
そして、より質の高い「収納」をすることで、より質の高い「収納」に繋げることが出来ると考えています。
ここでいう「質の高い収納」というのは、完璧な収納を指しているわけではありません。
たまにテレビで見るセンスの良い収納などを指すわけではなく、自分の生活にとって使いやすかったり、違和感のない収納であればいいという位のモノです。簡単な収納で良いと思っています。
僕自身、収納センスは全くとないと思っています。ただ、グルーピングをしたり定位置を決めるといった最低限の収納は徹底して行うようにしています。それだけで十分だと考えています。
「整理」することで必要なモノだけになり、その必要になったモノの定位置を決め、そのモノを使いやすくする。そして、目の前にモノが散らかっていない状態にします。そうすることにより心は落ち着いた状態になります。
心が落ち着いた状態になることで、目に見えないモノも見えやすい状態になって来るように思います。視覚化されるイメージです。
そして、視覚化されたことで「整理」もしやすくなり、頭の中のモノが「整理」され必要なモノだけになります。
「収納」「収脳」、両方で言えることですが、モノが多いと「しゅうのう」がしにくい状況になります。
「しゅうのう」をする際には必ず必要なモノだけにする「整理」を行うのが必須です。
目に見えない頭の中のモノを必要なモノだけにするためにはまずは「整理・収納」を優先するべきだと思います。
順番でいうと...
目に見えるモノの整理→収納→目に見えないモノの整理→収脳
といったイメージではないでしょうか。
このプロセスを一つ一つ丁寧に踏むことが心地良い毎日の暮らしに繋がっているように思います。
僕は、このブログを書くための環境を整えるために「整理・収納」を行っています。
そして、このブログを書くことで僕の思考は「整理・収脳」されています。
心地良く毎日を暮らせるように、これからもまずは「整理・収納」を徹底して行っていきたいと思います。