物事はシンプルに考えるべきだと思っています。
シンプルに「良いか・悪いか」で判断すべきだろうし、そうやってシンプルに考えるからこそ、自分にとって必要なモノだけを抱える事が出来るのだと思っています。
「整理・収納」においても、シンプルに考える事が大切になります。
自分にとって必要なモノは何なのか...
難しく考えるのではなく、シンプルに「いる・いらない」で判断すれば良いのだと考えているのです。
そのモノの持つ本質は何なのか、
そのモノは自分の生活スタイルにあったモノなのか、
そのモノを生かすことが出来るのか、
それらをシンプルに考える事で、おのずと「いる・いらない」が見えて来るようになります。
そして「いる・いらない」が分かれば、処分するモノを決めていけばいいのです。
身の回りが必要なモノだけになっていると、心が落ち着きます。
不要なモノがなく、視界に刺激物(不要なモノ)が入らない状態にすることで、心に余裕を持つ事が出来るようになります。
そんな環境に身を置くことが出来ることで、一つ一つの物事をシンプルに捉えることが出来るようになるのです。
モノを極限まで減らす必要はありません。
一つ一つのモノと向き合った結果、必要なモノと判断したのであれば、ある程度の量を所有していても問題はないと僕は思っています。
自分の生活スタイルを分析し、その生活スタイルに合ったモノだけを所有するのであれば、ある程度の量のモノを所有する事は有りだと考えているのです。
そして、モノと向き合う習慣が出来ていれば、極端にモノが増える事は無いのではないかと考えているのです。
シンプルに「いる・いらない」の判断が出来るように、常にモノに対するアンテナは張っておくべきだろうし、常に自分の生活スタイルを意識しながら生活しておくべきだと考えています。
僕はモノが多く、モノが散乱している状態では、物事に取り組む際の質が低くなると考えています。
視界の中に刺激物が入ってしまい、無意識に取り組む事に集中できない状態を作ってしまうと考えているのです。
そんな状態で何かに取り組んでいても、取り組みの質は低いだろうし、そんな取り組みの中で仕上がるモノの質は低いモノになると思っています。
だから、身の回りは常に片付いた状態にしておきたいと思っているし、常に集中できる状態を作っておきたいと考えています。
職場の、僕の机の上には基本何も置かないようにしています。
何かに取り組む際には、その取り組みに必要なモノだけしか出さないようにしているし、その時に必要ないモノに関しては定位置に戻すようにしています。
そうする事で、取り組みの質を高めようとしているし、仕上がりの質を高めようとしているのです。
だから、その場にいない時の僕の机の上にはモノがない状態になっているし、空き机のような状態になっているのです。
以前、別の小学校の職員が来た際に、僕の席が空き机だと勘違いしており、普通に座っていたという事がありました。
僕が職員室に戻り、自分の机からモノを取り出そうとした時に、変な空気流れました。
「えっ??ここ空いている席だよね...」そんな空気を出しながら僕を見ていたのです。
何故か「すいません...」なんて謝りながら、自席から荷物を取り出そうとしている自分がいたのです。
それくらい僕がいない時の机の上にはモノがない状態になっているのです。
どうやら僕が退社した後は、僕の机の上は両隣の席の人の物置になっているようです。
場合によっては僕の席を作業場にしているという事も聞いた事があります。
それくらいモノがない状態になっているのです。
それはただ単に僕がきれい好きだからとか、神経質な性格だからという事だけではありません。
物事をシンプルに捉えることが出来るようにしたいからしている事だし、一つ一つのモノと向き合った結果作る事が出来ている環境だと考えています。
モノが少ないと心が落ち着きます。
そして、心が落ち着いた状態になっている事で、心に余裕を持つことが出来ます。
それが物事をシンプルに捉えることが出来る事に繋げる事が出来ているのだと考えています。
物事をシンプルに考える事が出来るように、一つ一つのモノとじっくり向き合える自分でいたいと考えています。