整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

年末年始に向けて

体重が増えている...

なかなか減らない...

そんな感じで、体重に関しての「危機感」を抱えてしまっているここ最近。

長い目でゆっくり絞っていけばいいかなんては思っておらず、「焦り」を抱えてしまっている状況になっています。

と言うのも、そろそろ先の事が気になりだしているからです。

先の事...そろそろ「年末年始」が視野に入り出しているのです。

毎年、年末年始で体重が増加するのは必須で、2~3kgは確実に増えているように思います。

美味しいモノがたくさんで、ほぼ運動する事もなく、ぐうたら過ごしてまう年末年始。

そんな年末年始が今年も近づいているのです。

一年の締めくくりであり、一年の始まりである年末年始。

家から一歩出ても、テレビを付けても、ラジオを付けても、雰囲気がいつもと違い、何だか嬉しい気持ちになってしまいます。41歳になった今でもそんな雰囲気にワクワクしているような感じです。

そんな雰囲気にのまれてか、気持ちも大きくなり、一年で一番大きな「今日くらい良いか...」が発動してしまっている状況になっているように思います。

元々持っているであろう「意志」も、整えたはずの「環境」も、「今日くらい良いか...」を許してしまう状態になっているように思っています。

僕は自分を良い方向に導くためには、「意志」と「環境」が大切だと考えています。

自分を良い方向に導こうとする「意志」が無いと、自分を変える事なんて出来ないだろうし、

自分を変える事が出来る「環境」が整っていないと、自分を良い方向に導くことは出来ないと思っています。

そして、「意志」と「環境」は両立させることが大切だと思っています。どちらかに偏る事は良くないと思っています。

自分を良い方向に導きたいという「意志」はあるのだけれど、「環境」が整っていない状況では、人は変わる事が出来ません。

逆に「環境」が整っていても、その本人に変わりたいという「意志」が無いのであれば、自分を良い方向に導くことは出来ません。

「意志」を持つ事や、「環境」を整える事はとても大切な事で、バランスよく両立させることが大切になると思っています。

だから、年末年始の僕が「今日くらい良いか...」と思ってしまっているのは、全く意志がないということだろうし、

「今日くらい良いか...」と思えてしまう雰囲気は「環境」が整っていない状況なのです。

年末年始の僕は、両方を絶望的と言えるくらい持つことが出来ていない状況なのです。

そんな年末年始が近づいてきている現在、

体重が増えている...

中々減らない...

という気持ちを抱えている現状に、焦りを感じているし、危機感を感じてしまっているのです。

こういった現状になっているのは自分に原因があるのだろうし、年末年始に「意志」を持つことが出来ていなかったり、「環境」を整える事が出来ていない状況を作っているのは自分だと思っています。

自分の心が弱いのだろうし、「整理・収納」が上手く出来ていないからだと思っています。

今の生活にそこそこ満足しているなんて言っている僕ではありますが、まだまだ改善点はあるだろうし、自分の生活に課題を抱えているという事なんだと思います。

お酒の量を減らそうと思い、実行してみたものの続かず、すぐに以前の自分に戻ってしまっています。

本当に僕の意志は弱いだろうし、家にお酒を置いてしまっている環境が良くないのだと思っています。

こんな事を書いているにも関わらず、久しぶりに王将で餃子と生ビールをやっちゃっていたりしています。(本当に久しぶりです...)

偉そうに、意志とか環境とか、整理・収納とか言ったりしていますが、僕自身まだまだ未熟な人間なんだという事を痛感しています。

でも今までの僕は、先の事なんか全く気せず生活することがほとんどだったように思います。

目の前の事に必死だったし、今思っている事や、目先の願望だけを大切にしていたように思います。

そんな僕が「そろそろ年末年始が近づいてきた...やばい...。」と思えているのは、先の事を考える事が出来ているということだろうし、目先の心地良さだけではなく、これから先の心地良さの事も考える事が出来るようになってきているのだと思います。

それは、年末年始だけに限られたことではありません。

今しておいた方が後が楽になる。

少しずつ進めておこう。

なんて思考を色々な場面で持つことが出来るようになってきているようにも思います。

もちろん、心に余裕があれば、そんなことは出来て当然だろうし、先の事を考えるなんてことは当たり前の事だと思います。

でも、忙しく過ごす毎日...そんな心の余裕が持てない場合が多くあるように思います。

忙し過ぎて、目先の事だけにとらわれてしまったり...

忙し過ぎて、先の事なんて全く考える事が出来なかったり...

そんな状況が過去の僕にはあったように思います。

先の事を考えたいという「意志」はあったけど、忙しく心に余裕のない「環境」の下、それが出来ない状況だったように思います。

だから、何をしても上手く行かなかったし、失敗も多くあったのだと思います。

最近の僕は、先の事を考える事が出来る「心の余裕」を持てるようになってきています。

それは、心を落ち着ける事が出来るような「環境」を整える事が出来ているからです。

モノが少なく、お気に入りのモノだけに囲まれる「環境」が僕の「心の余裕」を生み出しているのです。

僕は今、体重が減らないという焦りや危機感を抱えています。

そういったモノを抱えているのは、ある意味「整理・収納」が出来ているからだと思います。

これからは、そういった焦りや危機感を「整理」出来るようにしていけたらいいなと考えています。

心の弱い僕には本当に難しい事かもしれませんが、自分を良い方向に導いていくという「意志」をしっかり持ち、誘惑に負けないような「環境」を「整理・収納」を通して、整えていきたいと考えています。

今年の年末年始、心地良く、気持ちよく乗り切れるようにしたいと思っています。

どう感じるかが大切

僕は今の生活にそこそこ満足しています。

毎日「心地良いな~。」と感じる事も出来ているし、「楽しいな~。」と感じる事もたくさんあるように思っています。

もちろん、嫌だと感じる事もあるし、満足できない事、我慢している事もたくさんあります。

それでも、僕は今の生活にそこそこ満足することが出来ているのです。

僕の置かれている状況は客観的に見みると、決して満足できるような状況ではないのかもしれません。

給料も特別多いわけではないし...

貯金もさほどある訳でもないし...

近くに駅のない築50年以上の古い団地に住んでいるし...

バツイチだし...

子どもと別居しているし...

身長も低いし...

足も短いし...

上げ出したらキリがないように思います。

こんな状況は冷静に考えると、いや...冷静に考えなくても満足できるような状況ではないように思います。

でも、こんな状況に置かれている僕ではありますが、そこそこ満足することが出来ているのです。

僕よりもたくさん給料を貰っている人は世の中にごまんといます。

もちろん僕のように定時で帰ったり、集中力の切れた状態で仕事をしていないと思います。僕のように舐めた状態で仕事をしている訳ではないと思います。

どんな仕事に対しても一生懸命で、世のため、人のためになるような仕事で成果を上げている人が、たくさんの給料を手にしているのだと思います。

そういった人がたくさんの給料を手にすることは当然の事だと思います。

僕のように肩の力を抜きながら、のんびりのほほんと働いている人よりもたくさん貰えるのは当然の事です。

だから、僕もたくさんのお給料が欲しいのであれば、そういった成果を評価される職に就くべきなのだと思います。

世のため人のために、誰もが認める成果を上げる事が出来るように、仕事に没頭すべきだと思います。

でも、僕が仕事をするのは、たくさんの給料を貰うためだけにしていることではないと考えているのです。

もちろん、僕が働いているのはお金のためでもあります。

お金がないと生活が出来ないだろうし、そこそこの給料を貰わないと、僕が思う「心地良い暮らし」を自分に保障することは出来ません。

それなりにモノを買いそろえたり、美味しいモノを食べたり、楽しいと思える事をするためにはお金が必要です。

でも、お金だけのために働いている訳ではないと考えています。

何のために働いているか考えた時、その1番が僕の場合は、お金ではなく「心地良く暮らす」ことなのです。

だから、仕事をすることにより「心地良い暮らし」が僕から離れてしまう事は、避けたい事だと考えているのです。

僕は「整理・収納」活動を通して、たくさんのモノに囲まれる生活が、心地良い生活ではないという事を知ることが出来ました。

欲しいと思ったり、いいなと思ったりするモノを全て手に入れたとしても、それで満足することはないという事を知ったのです。

人は、モノの多さで満足や幸せを手に入れることは出来ないと僕は考えています。

人が満足や幸せを手に入れるためには、モノを増やせばいいという訳では無いのです。

モノを厳選し、お気に入りのモノだけに囲まれたときに、その生活に満足したり、幸せを感じることが出来るのです。

「欲しいな~。」「いいな~。」と思うモノを片っ端から手に入れたとしても、それが満足や幸せに直結するとは限りません。

満足や幸せというのは、お気に入りのモノだけの、モノが少ない環境でこそ感じる事が出来るのだと思います。

そしてそれは、目に見えるモノだけでなく、目に見えない思考も同じだと考えています。

「あれも、これも。」と考える事よりも、自分の大切にしたい事を厳選し、その厳選された大切なモノだけを大切にする方が、満足や幸せを感じる事が出来るのだと思います。

僕が厳選した大切にしたい事には、たくさんのお金は含まれていないし、たくさんのお金が必要になる事でも無いと思っています。

僕が「心地良いな~。」と感じる事には、さほどお金が掛からない事ばかりです。

何を食べても、何を飲んでも、美味しいと思える僕は、基本安いモノばかりを購入しています。

化学調味料や添加物などといったモノもさほど気にしていないため、買うモノは比較的安価なモノばかりになります。

別にお金がないから我慢しているという訳ではありません。本当に何を食べても美味しいと思えているし、何が入っていようとあまり気にしていないだけなのです。

もちろん美味しくないモノは買わないようにしているし、明らかに体に悪いモノは口にいれないようにはしています。

でも、自分の中で「大丈夫」と思えるモノに関しては購入するようにしているのです。そしてそういったモノには安価なモノが多いのです。

住んでいる家に対しても同じ考えです。

近くに駅なし、築50年以上の団地ですが、僕はその家で充分満足できています。

とにかく家賃を安く抑える事が出来ているし、内装に関してはリフォームをして、自分の生活スタイルに合うように出来ているし、とにかく静かな所だということに満足しているのです。

そして、建物が古かろうが、生活をする場所が狭かろうが、モノを少なくし、しっかり収納さえ出来ていれば、心を落ち着かせることも出来るし、心穏やかに生活することが出来るのです。

今日の投稿で僕が言いたいのは、結局は自分がその状況をどう感じるかが大切だという事です。

僕の周りには、常に現状に満足することなく、常に不満を抱えているのではないかと思う人が数名います。

視点を変えれば、常に物事を良い方向にしていこうと考えている向上心のある人なのかもしれませんが、その人たちの普段の生活を見ていると、どうも幸せそうに見えないし、いつも不満を抱えているような印象を持ってしまいます。

愚痴を言うのが悪いとは思いません。信頼できると思う人に、誰かに対する悪口を聞いてもらうのも100%悪い事だと僕は思っていません。

ただ、社会で生きていく中で、その社会に合わすことをせず、自分を変えようともせずに不満を抱えている人には問題を感じてしまいます。

周りと価値観が合わないから...

周りがおかしい...

なんて考えてばかりで、自分は悪くないという思考を持ってしまうのは良くない事だと思っています。

何故なら、人は1人で生きていく事は出来ないし、生きていくためには社会と自分を切り離す事は出来ない事だと考えているからです。

自分がマイノリティとかマジョリティとかは関係なく、ある程度は社会に合わす事も僕は必要な事だと思っています。

そういった社会の中で、自分の置かれた状況をどう感じるかが大切なのだと思います。

一般的に見て、僕の今置かれている状況は決して良くないのかもしれません。

でも、そんな状況でも僕はそこそこ満足しているし、幸せだと感じています。

それは、所有するモノの量を減らし、本当に大切なモノだけを大切にするという思考を持つことが出来ているからだと思っています。

シンプルに考える事が出来ているし、どんな事でも肩の力を抜きながら向き合う事が出来ているからだと思っています。

これからもそういった自分でいれるように、今の自分の思考を大切にしていこうと考えています。

本当に大切だと思う事を大切にするという芯をブラさないようにしていきたいと思います。

感謝の奢り

金曜日に仲の良い同僚と焼肉を食べに行きました。

1週間前に大きな仕事を終えたという事もあり、その打ち上げを兼ねた焼肉の会です。

今週の僕の大きなモチベーションになっていました。

一緒に行った同僚は2人。2人とも年下の同僚です。

僕は今年の4月に転勤しており、その転勤先である今の職場で出会った2人です。

年下ではありますが、しっかり者の2人で、僕が尊敬する2人です。

2人とは職場の中でも圧倒的に一緒に過ごす時間が多く、とてもお世話になっています。

肩の力を抜きながら働き、いつも定時で帰る僕。そんな僕を広い心で受け止めてくれている2人です。

2人には本当に感謝しているし、いつも何かお返しが出来ればいいなと思ったりしていました。

そんな中で開かれた焼肉の会。

その日がそのお返しをする日なのではないかとずっと考えていたのです。

いつも一生懸命な年下の2人。

別に年下だからという事で、僕は2人を下に見たことはありません。

それは2人にだけという訳ではなく、どんな年下の人に対しても尊重の気持ちを持って関わりたいと思っています。

今年41歳になった僕。今の職場では年齢的に見ると中堅所といった感じになっています。

そういった事もあり、たくさんの年下の人たちと関わりながら働いています。

そういった環境の中、いつでも謙虚でいたいと考えている僕にとっては、そういった年下の人たちとの関わり方には気を付けたいと考えています。

年下の同僚を見守る目であったり、言葉遣いには最新の注意を払い、意識的に気を付けるようにしているのです。

経験不足による失敗はよくあることで、そういった失敗を見た際にも「ほんとに、もう~。」なんて上から目線で見たくないと思っています。

(というか、そこそこ経験のある僕自身がそんなことだらけです...。)

年下だからといって、なあなあになる話し方はしたくないと考えています。きちんと敬語で話すようにしたいと思っています。

そういった姿勢が謙虚な自分でいる事に繋がると考えているし、年下の同僚との良好な関係を築くことに繋がると考えているのです。

むしろ、今の職場には僕なんかよりも一生懸命な年下の人ばかりだし、そんな年下の人たちを見て、いつも尊敬の気持ちを持っている位です。

だからいつも負担を掛けたり、迷惑を掛けている2人にお返しが出来る日が、金曜日の焼肉だと考えていたのです。

僕が毎日心地良い暮らしを送ることが出来ているのは、もちろん僕自身が「整理・収納」を通してやるべき事を明確にし、「整理・収脳」が出来ているからだと思います。

それが無いと、今の僕のような働き方は出来ないと思っています。

「整理・収納」を通して、元々高くない僕の能力を最大限引き出すことが出来ているから、出来ている事だと思っています。

ただ、それだけでもいけないように思っています。

一緒に働く仲間の理解が無いと、僕の今の心地良い暮らしは成り立たないと考えています。

それは一番関わる事の多い2人だけではなく、もしかしたら職場にいる全ての人たちのおかげなのかもしれません。

そしてそれは、一緒に働いている人たちだけでなく、僕に関わる全ての人の理解があるからなのかもしれません。

教室にいる子どもたち、その子どもたちの保護者...全ての人の理解があるから成り立っている僕の心地良い暮らしなのだと思います。

他にも、僕の心の支えである2人の息子。

2人が生まれてきてくれたから、僕は父親として頑張ろうと思えているし、2人にとって恥ずかしくない、魅力的な人間になりたいと思えているのだと思います。

そのモチベーションが、心地良く暮らしたいと思う事に繋がっているのだと思います。

僕が心地良く過ごしたいと思っているのは、幸せに生きたいと思っているからです。

幸せを感じる事が出来る事で、自尊感情も上がるのだろうし、それが自分の魅力を引き出す事に繋がるのだと思います。

そして、僕は今そこそこ幸せだと感じています。

色々あるけど、そこそこ今の暮らしに満足しています。

それはたくさんの人の支えの上に成り立っている、僕のそこそこの幸せだと思っています。

だから、金曜日の焼肉の会では、そんな感謝の気持ちを形で表そうと決めていました。

いつもお世話になっているし、僕の方が年上なんだから当然の事なのだと思います。

ただ、何となく支払いを全て済ませるという訳ではなく、感謝の気持ちを持ってそれを行うという事に意味があるのだと思っています。

「一緒に働いている大人同士なんだから、そんな事をする必要はないんじゃねえ。」なんて思う人もいるのかもしれません。

言っても僕はまだまだ平社員だし、今の僕の経済状況は人に焼肉をご馳走できる程の余裕はないのかもしれません。

もしかしたら、2人の息子のための貯金に充てている方が現実的なのかもしれません。

でも、僕なりに2人の同僚に対する感謝の気持ちに対しての「整理・収脳」を行った結果、行き着いた考えでもありました。

先に支払いを済ませていた僕を見て、「いやいや、払いますよ先輩!!」なんて声を掛けてくる同僚2人。

「ええねん。今日はカッコつけさせてや!!」とちんちくりんのおじさんの僕が返答をします。

そんな姿を見て「きっしょ―。」と思ったり、「なに無理してカッコつけとんねん。」なんて思われていたのかもしれません。

でもそれは、僕なりに2人の同僚に対する思いを「整理・収脳」した結果の判断だったのです。

その感謝の気持ちの表し方、お金の使い方が合っているのか、間違っているのかは分かりませんが、とりあえず今のところは後悔はしていません。という事は間違っていないという事なんだと思います。

これからも2人の同僚への感謝の気持ちを忘れずに、毎日心地良く過ごしていきたいと思っています。

そしてしばらくは節約していこうと考えています...。

肩の力を抜いて生きる

毎日を心地良く過ごすために、「シンプルに生きる」事を心掛けています。

所有するモノを少なくする事で、頭の中に抱えるモノも減らす事が出来ます。

そしてそれを、シンプルに生きる事に繋げたいと考えています。

そういった生き方をするためには、目に見るモノの「整理・収納」が大切になると思っています。

目に見えるモノの所有量を減らし、そのモノの定位置管理が出来る事で、日常生活の視覚的な刺激が減り、心を落ち着かせる環境を整える事が出来ます。

そういった環境の中でこそ、冷静な思考を持つことができ、大切にしたいことを厳選することが出来るのだと思います。

それが僕の考える「整理・収脳」です。

ただ、人は一つの考えに囚われ過ぎてしまう事で、間違った方向に進み続けてしまう状況になる場合もあります。

僕くらいの年齢になると、人から注意を受けたり、アドバイスを貰うことが少なくなってきます。

それはもしかしたら、僕がすごく嫌な人、怖い人と思われているからかもしれません。

「あんな奴と話したくない...。」

「こんな奴と関わりたくない...。」

なんて思われているのかもしれないと考えると、ゾッとしてしまいます。

そんな事はないと信じていますが、中々意見されることがない年齢になってきているように感じています。

だからこそ、自分を客観的に見ることが出来るような人間にならないといけないと思うし、自分を律することが出来る人間にならないといけないと思っています。

冷静に自分を見ることができ、間違った事があった際には改める事が出来る人でありたいし、常に周りの人の事を考える事が出来る自分でいたいと考えています。

だから、「シンプルに生きたい」とは思っていますが、そればかりに拘ってしまうと、バランスが取れなくなってしまったり、周りが見えなくなるのだと思っています。

だから僕は「シンプルに生きたい」という思いだけではなく、他にも生きる上での理想を持つようにしています。

その理想の一つが、「肩の力を抜いて生きる」事です。

どんなコトにも心に余裕を持ち、肩の力を抜きながら向き合うことが出来たらいいなと考えているのです。

「何とかなるか。」

「どうにでもなるよ。」

そんな思考も時には必要で、そういった思考を持つことで、肩の力を抜きながら、一つ一つの物事に向き合うことが出来るようになります。

楽観的なんて言い方もあるのかもしれませんが、物事を適当に考えて向き合う訳ではありません。

僕なりの丁度良い加減があり、その加減を超えないような向き合い方を大切にしたいと思っています。

僕が働いている業界の若手職員には、真面目な人が多くいます。

一つ一つの仕事に対して責任感と使命感を持ち、どんなコトにも手を抜かず、一生懸命働いています。

そんな姿を見て、本当に尊敬の気持ちを持っているし、「凄いな~、偉いな~。」なんて思いながらその若手の仕事っぷりを見ています。

もちろん経験不足からくるトラブルや失敗も多くあるようですが、そんなことは誰にでもあることで、そういったトラブルや失敗に対しても真摯に向き合っている姿に感銘を受けています。

目の前にある問題から逃げず、一生懸命その問題と向き合うことが出来る人にはきっとその後に大きな成長があるのだと思います。

でも、そんな真面目な若手だからこそ、本来抱えるべきでない負担を抱えてしまっているような印象を持ってしまっています。

肩の力を抜きながら考えればいい事も、それが間違っている事だと思い込んでいるのではないかと思っています。

「もっと楽に考えてもいいんだよ。」的な声掛けをしたとしても...

「いや、自分はここで手を抜いてしまうと楽な方に流されてしまうので。」や、

「ここは勝負所なんです。」なんて返答があったりなかったり...。

本人がそう思うのであれば、それが正解なのかもしれませんが、そういった思考を持ってしまう事で、心に余裕が持てなくなる状況を招いてしまっているのではないかと心配になります。

そして、そういった思考からくる焦りが、本当に大切にしないといけない事を見えにくくしているのだと思います。

別に誰か個人の事を書いている訳ではありません。

ここ何年かの僕が感じていることであり、そういった人たちの姿を見て「肩の力を抜く」事の大切さに気付かされたような感じになっているのです。

一つ一つの物事に真剣に向き合う事や逃げずに向き合う事はとても大切な事です。

でも、それだけではダメだと思っています。

時には肩の力を抜く事も必要だろうし、それを「心の余裕」に繋げる事もとても大切な事だと思います。

僕は別に、常に楽をしたいとかサボりたいとか思っている訳ではありません。

自分に関わることに対して、適当に向き合おうなんて思ってはいません。

そうではなく、肩の力を抜きながら物事に向き合う事も、必要な事だと考えているのです。

毎日を心地良く過ごすためには、自分を大切にすることはとても大切な事です。

そして、自分を大切にするためには「肩の力を抜く」事は欠かす事の出来ない思考だと思っています。

「なんとかなるか。」

「どうにでもなるか。」

そんな肩の力を抜く思考も大切にしていこうと考えています。

そこそこの満足でいい

今の生活にそこそこ満足しています。

事情があり、二人の息子と一緒に暮らす事は出来ていません。それに関しては寂しく思う事もあります。

それでも全く会えない訳でもないし、連絡を取り合い、繋がりを感じる事は出来ています。

そんな事を感じているのは、もしかしたら僕だけかもしれませんが...。

二人の息子には本当に申し訳ないと思っていますが、仕方ない事だと思っています。

そんな事を抱えている僕ではありますが、今の生活にはそこそこ満足しているのです。

お給料も特別少ないわけではありません。

もちろん、もっと貰えるのであれば喜んで貰いますが、特別少なくて困っている訳ではありません。

毎月の生活がギリギリと言う訳でもなく、それなりに楽しみながら生活をするくらいの余裕はあります。

程々に楽しめるくらいの余裕がある程度です...。

もちろん、我慢をすることもたくさんあります。

物欲の塊の僕。

大きなテレビが欲しいと思っているし...

掃除ロボットも欲しと思っているし...

カッコいい服も欲しいと思っているし...

お洒落なソファーも欲しいと思っているし...

欲しいと思っているモノにはキリがありません。

他にも物欲だけでなく、例年以上の食欲の秋になっている今年の僕は、食欲も多い状態になっています。

そんな状態の僕は、いつも食べる事ばかり考えているようになっています。

「焼肉食いてえな~。」と思ったり...

「飲みに行きて~。」と思ったり...

「唐揚げ〜、餃子〜。」と思ったり...

かなりの食欲を抱えてしまっているように思います。

そして、他にもたくさんの欲望を抱えている状態でもあります。

1人でふらっと旅にも行きたいと思っているし...

マッサージにも、もっと行きたいと思っているし...

キレイなお姉さんのいるお店にも行きたいと思っているし...

欲望も、上げ出すとキリがありません。

だから僕は、たくさんの物欲・食欲・欲望を抱えながら生活しているのです。

そしてそれを我慢しながら生活している一面もあるのです。

でも、そんな生活ですが、僕はそこそこ今の生活に満足しているのです。

それはきっと、今抱えているモノにはキリがないと分かっているし、満たしても満たしても、満たされる事がない事だと思っているからです。

次から次へと便利なモノ、魅力的なモノが出回る現在。

きっとそんな現在を生きる僕は、物欲を満たしたとしても、すぐに新たな物欲が湧いてくるのだと思います。

そしてそんな状態の僕は「もう少し我慢してたら良かった。」や「あっちの方が良いかも。」なんて後悔の気持ちを抱えてしまうようになるのです。

食欲も同じで、今あるたくさんの食欲を満たしたとしても、満足するのは食べている時だけで、食べ終えると必ず後悔を抱えてしまう事になります。

「食べ過ぎた...」や「体重が...」なんていう後悔です。

他の欲望に関しても、満たしても満たしてもキリがないだろうし、満たしたところで後悔の気持ちを抱えてしまう事が割と多くあります。

だから、今抱えている物欲・食欲・欲望を全て満たした所で、満足する気持ちを得る事は、中々難しい事なんだと考えているのです。

我慢する事もたくさんありますが、そこそこ満足する事が出来ている今の生活を大切にしたいと考えています。

それはやはり「整理・収納」を通して、「整理・収脳」が出来ているからだと思っています。

自分の事を冷静に見る事が出来るようになっており、本当に必要なモノは何かという事とじっくり向き合う事が出来るようになっているからだと思います。

きっと今の生活にも、満足出来る事はたくさんあるのだと思います。

そんな毎日に感謝すべきだろうし、そんな毎日を送る事が出来ている自分を、もっと肯定的に見てあげても良いのかもしれません。

そしてそれは僕だけではないと思います。

モノが多すぎたり、モノを抱えすぎている状態では、そんな満足出来る日常に気付く事が出来ないのだと思います。

だからこそ「整理・収納」を大切にすべきだと考えているし、これから先もずっと実践していきたいと考えています。

僕のような底なしの欲張りな人間こそ、「そこそこの満足」で十分だと思います。

それ以上を求めてしまう事で、余計なモノを抱えてしまう事に繋がるのだと思います。

持ち歩くモノを少なくする

シンプルに生きるためにしている事はいくつかあります。

所有するモノを厳選し、一つ一つのモノを生かせるようにすることも、シンプルに生きる事に繋がる事の一つだと考えています。

本当にお気に入りのモノだけを所有できれば、毎日の生活は心地良く、シンプルに生きる事が出来ると思っています。

それは自分に取って必要なモノ何なのか。

それは自分の生活スタイルに合うモノなのか。

そのモノを最大限生かすことが出来るのか。

そういった事と常に向き合うことで、モノを厳選する事ができ、本当に必要なモノだけに囲まれる生活が実現するのだと思っています。

そういった生活が出来るように、日々の「整理・収納」を意識しながら生活をしています。

そして、僕はそんな「整理・収納」を意識する中で、持ち歩くモノも少なくしたいと考えています。

僕は基本カバンは持たないようにしています。

毎日仕事に行く際に家から持ち出すモノは、

  • 財布(家の鍵、自転車の鍵も入れています。)
  • スマホ
  • ハンカチ
  • 文庫本
  • ヘッドホン

のみです。

これらのモノが僕の毎日仕事に行く際に持っていく「お出かけセット」になっています。

これらのモノだけであれば、カバンを持たなくても十分持ち歩くことは可能です。

持ち歩く際には、ズボンの右ポケットにスマホ、左ポケットに財布、お尻のポケットにハンカチ、そしてヘッドホンは首にぶら下げる感じです。

文庫本は手に持っていたり、最近であればアウターのポケットに入れるようにしています。

持ち歩く時にも「定位置」を決めるようにしているのです。

朝家を出る際には、このお出かけセットをグルーピングした定位置から取り出すだけで良いようにしています。

持ち歩くモノに関しては極限まで少なくすることが出来ているように思います。

ただ、持ち歩くモノに関しても、ただただ「減らそう」と考えて少なくしてきた訳ではありません。

自分の生活スタイルと向き合い、本当に必要なモノは何なのかという事とじっくり時間をかけて向き合ったことで厳選されたモノだと思っています。

まだまだキャッシュレスにする自信と勇気がないため、現金を持ち歩いている僕。

もう少し自分に強くなり、無駄な買い物をしない自分に成長したときには、キャッシュレスに出来るのかもしれないとか思ったりもしています。

そうなれば、財布も持ち歩かなくてよくなるのではないかと考えています。

でも、今の僕はそうではありません。まだまだ心の弱い僕にとっては、現金が必要だろうし、その現金を入れる財布は必要なモノだと考えているのです。

その財布もなるべくコンパクトなモノを使っています。

以前の僕は大きな財布を使っていました。お尻のポケットに入れてもかさばり入りきらないほどの大きさの財布でした。

そんな財布を使っていた頃の僕は、必要もないのに財布の中に様々なモノを入れていました。

普段ほとんど使うことのない銀行のキャッシュカード。

ほぼ行く事がないであろうお店の会員カード。

そして何故か初詣で購入した、末吉や凶のおみくじまで入っているような状況でした。

そんな当時の僕は、不要なモノをたくさん持ち歩いていたのです。

使うことがないモノを持ち歩いている僕。そんな僕はきっと頭の中にもたくさんのモノを抱えていたのだと思います。

それがシンプルに生きる事が出来ない状況を作り出していたように思います。

失敗も多かっただろうし、本当に大切にしないといけない事が見えていない状況だったように思います。

文庫本に関しても、もしかしたら電子書籍にした方が持ち歩くモノの量を減らすことが出来るのかもしれません。

詳しく調べたことはありませんが、スマホで本を読む事ができるアプリなんかはたくさんあるだろうし、そうすることにより、たくさんの本を持ち出すことが可能になるように思います。

でも、僕の生活スタイルに当てはめると、積読をしない僕にとってたくさんの本を持ち出す事は必要ない事です。

また、なるべくスマホの画面を長時間見ないようにしたいと考えています。

生活の中から、視覚的な刺激を極力減らしたいと考えている僕。

スマホの画面から得る事が出来る、不要な情報や不要な刺激も減らしたいと考えています。

だから、スマホを見る時間も極力減らしたいと考えているし、画面にカラーフィルタをかけているくらいです。(白黒画面にしています。)

ということもあり、本を読む際には紙の本、文庫本を持ち歩くようにしているのです。

そして、最後にハンカチです。

ハンカチを持ち歩く習慣のなかった過去の僕。

カバンを持ち歩いていた当時の僕は、いつもそのカバンの中にタオルを忍ばせていました。

外回りでたくさん汗をかく僕にとっては必需品だったように思います。

暑い日なんかは、顔をバシャバシャ洗って気分を一新することも多くありました。

しかし、当時の僕はハンカチの魅力を一切知らない、ひよっこだったのだと思います。

そんなひよっこだった僕も今はハンカチを持ち歩くようになっています。

それはハンカチの魅力と、ハンカチでも十分間に合うという事に気づいたからです。

ハンカチの魅力は、まず「コンパクトに持ち運ぶことが出来る」という事です。

お尻のポケットに入れても重ばらず、ポケットに入れているか分からないくらいにまで存在感を消すことが出来る優れものなのです。

持ち歩くモノを減らしたいと考えている僕にとっては、かなりの高ポイントなモノで、使い勝手とモノを減らす事のバランスが絶妙に取れているモノだと考えています。

そして2つ目が、「すぐに乾く」という事です。

汗を拭いたり、手を洗った後、濡れていたとしても、椅子などに広げて干していると5分もあればすぐに乾くのです。

次に使う時に「もう乾いている♪」なんて気持ちになって使うことが出来るのです。

タオルはタオルでガンガン使える魅力はあるのですが、持ち運ぶ観点から考えると、ハンカチの方が魅力的なモノのように感じています。

こういった感じで、僕は持ち歩くモノとも時間をかけて向き合うことをしてきました。そして持ち歩くモノを厳選してきました。

その結果、カバンを持たないスタイルを確立し、僕なりの心地良い暮らしを実現できるようになってきていると思っています。

持ち歩くモノが少ない事で、僕の思考はずいぶんシンプルになってきているように思っています。

そして、その思考を持ち続けることで、これからもきっとシンプルで、分かりやすく生活することが出来るのだと思っています。

それが僕の思う、心地良い暮らしに繋がると思っています...。

シンプルに、分かりやすく

シンプルに生きたいと考えています。

僕の考える「シンプルに生きる」とは、分かりやすく生きる事です。

誰から見ても何を大切にしているかが明確で、自分自身でも大切にしている事を常に明確に意識しながら生活できる状態にしたいと考えています。

そのためには、所有するモノ、抱えるモノを出来るだけ少なくすることが大切になると考えています。

モノを多く抱えてしまう事により、自分の大切にしたいモノが見えにくい状況になると思います。

朝起きてコーヒーを飲む際に、僕はマグカップを一つしか持っていないため、そのマグカップだけを使うようにしています。

購入する際には、「本当に気に入ったモノを」という思いを持って購入したマグカップ。購入して1年以上経ちますが、未だに使う度に心地良さを感じる事が出来ています。

デザインも、持った感じも、飲んだ感じにも心地良さを感じているのです。

そして、そんなお気に入りのモノが一つあるだけで、僕の毎日は心地良い時間になり、充実した毎日を過ごすことが出来ているのです。

そんなマグカップですが、一つしかないため、使ったらすぐに洗うようにしています。

別に一つだろうが、たくさんあろうが、すぐに洗えばいいだけの話なのですが、他に使えるモノがあるという状況だと、もしかしたら「他にもあるから」という思考になってしまい、洗うことを「後回し」にしてしまう恐れが出て来るのではないかと思ったりします。

僕の中では、一つだけという状況が「後回し」を防ぐことに繋がっているし、そのお気に入りのマグカップを最大限生かすことが出来ている状況にすることが出来ています。

僕はモノを生かす際には、そのモノをたくさん使うことが大切になると考えています。

マグカップとして自分の手元にある以上、そのマグカップの本質を理解し、そのマグカップを生かすことを大切にしたいと考えているのです。

僕はほぼ毎日コーヒーを飲みますが、その毎日に欠かすことが出来ないお気に入りのマグカップは、僕の生活の中で生かすことが出来ている貴重な存在になっているのです。

「どのマグカップを使おうかな~。」

「洗うの忘れてた~。」

なんてことにはならず、朝起きたらすぐに定位置からマグカップを取り出し、すぐに使うことが出来るようになっています。

小さな事かもしれませんが、そんな小さな事の積み重ねが、シンプルに生きる事に繋がるのだと思います。

そんな小さな事を大切にしたいと考えているし、シンプルに、分かりやすく生きる事に繋げたいと考えています。

そして抱えるモノを出来るだけ少なくするのは、マグカップのような目に見えるモノだけでなく、目に見えないモノも少なくしたいと考えています。

たくさんの人と関りながら生きていく現代社会。様々な価値観と触れ合いながら生活をしていかなくてはなりません。

そんな毎日では、ついつい自分の大切にしたい事や思い描いているものが見えにくい状況になってしまいます。

大切にしたい事、思い描いているモノがあるにも関わらず、

「あの人の考えに合わせている方が良いかな~...」

「AさんよりBさんの考えの方が良いのかも...。」

なんて考えてしまう事があるように思います。

ついつい自分の考えよりも、他の人の考えを大切にしようとしてしまう状況が出て来るのです。

でも本来大切にすべきなのは、他の人の考えよりも、自分の考えだと思います。

自分の考えや思い描いているモノを優先すべきなのだと思います。

マグカップも一つしか所有していないから、その一つを大切にすることが出来ます。

じっくり時間をかけて向き合って購入した、お気に入りのマグカップだからこそ大切にそのマグカップを生かすことが出来ます。

他に使うモノがないから、お気に入りのモノだから大切に使うことが出来ているのです。

自分が大切にしたい考えも、じっくり時間をかけて向き合ったモノなのであれば、大切にするべきだろうし、その考えを生かすべきだと思います。

その大切にしたい事が多くあればあるほど、一つ一つが見えにくくなってくるだろうし、その結果、周りからの影響を受けやすい状況になるのだと思います。

一つ一つの考えと浅く向き合うのではなく、じっくり時間をかけ、深く向き合うことで、大切にしたい考えは厳選されていくようになります。

そして、お気に入りの、自分の大切にしたい考えがシンプルに分かりやすくなるのではないかと思っています。

目に見えるモノも、目に見えないモノも所有する量を少なくすることで、大切なモノが見えやすくなるだろうし、本当に大切なモノだけが手元に残るようになるのだと思います。

そして、それがシンプルな生活に繋がるだろうし、分かりやすい生き方が出来るのだと思います。

僕の日常は本当に分かりやすいと思います...。

職場にいても、定時の17時が近づくにつれ、ソワソワしだします。

何度も時計を見たり...。

帰り支度をし始めたり...。

急に話を聞かなくなったり...。

周りの人から見れば、時計を見ずにでも「そろそろ17時になるのかな?」と僕の姿を見て分かるくらいになっています。

周りの人から見てもきっと分かりやす人だと映っていることは間違いないように思います。

「早く帰りたいんだろうな。」

「仕事が嫌いなんだろうな。」

「早く帰って何をしているんだろう...?」

そんな声が聞こえてきそうな感じです。

でも、そう思われてしまうくらい僕は分かりやすいだろうし、思われているであろうことは、ほぼ当たっているように思います。

僕は早く帰りたいと思っています。

僕は仕事が嫌いです。間違いありません。

そして、早く帰って自分が心地良いと思える時間を過ごし、次の日にいい仕事が出来るように準備をしているのです。

僕自身、早く帰ることに関しては明確な考えがあるし、大切にしたい事だと思っています。

そして、そんな僕は人から見ても分かりやすいように思います。

それは、自分が大切にしている事をシンプルに考える事が出来ているし、それを大切にすることが出来ているという事だと思っています。

他にも大切にしたい事をなるべく少なくし、シンプルに、分かりやすく生きる事が出来るように日々意識して生活しています。

そういった思考をいつでも持てるように、所有するモノを少なく出来る「整理・収納」を大切にして、生活していきたいと思っています。