この年になると誰からも注意されたり、怒られたりすることはほぼありません。
この年になったからなのか、僕がやるべきことをしているからなのかは分かりません。理由はどうあれ注意されたり、怒られたりすることはほぼないように感じています。
もしかしたら僕が働いている組織自体にそういった、注意される・怒られるという文化がそれほどないのかもしれないのかなとか考えてりしています。
30歳の時に教員として働き出した僕がまず感じたことは、「すごく尊重されている」ということだったように思います。
初めて教育の現場で働く僕に対して、上司やベテラン教員からも「先生」として尊重されていた様に思います。そして子どもたちやその親からも「先生」として尊重されていると感じることが多々あったように思います。
よく「昔ほど学校の先生の立場は良くない。働く環境も含め悪くなっている。」と様々なメディアを通して目にすることがありますが、僕はそうは思ってなく、ある程度の尊重や尊敬は受けているように感じています。
それはもしかしたら前職を経験しているから感じることなのかもしれません。
前職での僕は上司や先輩からよく注意されたり怒られたりしていたように思います。もちろん仕事上でのたくさんの失敗があったからだとは思います。また、生意気な態度もたくさん取っていた様に思います。だから毎日のように注意を受け、怒られたりしていました。そしてそこには理不尽なものもあったように思います。
注意されたり怒られたりするとやはり気持ちは下がるだろうし、その積み重ねにより自尊感情はどんどん下がってくるように思います。「どうせ俺なんか。」や「俺はダメな人間だ。」みたいな感じです。
だから、今の僕は注意されたり怒られたりすることで自信を無くすことがほぼなくなってきているように思います。
「このままでいいんだ。」や「自分は出来ている。」という思考になっており、自分のやることに対し、自信を持って行動することが出来るようになっています。
でも、それって怖いことでもあるなと感じたりもします。
本当に「このままでいいんだ。」でしょうか?
本当に「自分は出来ている。」のでしょうか?
誰からも注意されたり、怒られたりしないことで判断するのは自分しかいない状況になってきているのです。
それってすごく怖いことだろうし、一歩間違った考えになったままになると、大きく道を踏み外していくことになっていくのだと思います。
今までであれば、注意されたり怒られたりすることで大きく道がそれることはなかったように思います。
もちろんその注意や怒られたりすることを素直に受け入れる謙虚さがあった場合に当てはまることだとは思いますが...。
そう考えると、注意されたり怒られたりすることは、それをする人に愛情があろうがなかろうがされる本人にとってはさほど悪いことでもないのかもしれません。
もちろん、注意されたり怒られたりすると気持ちも下がるだろうし、それが積み重なると自身もなくして来るようになります。
でも、大きく道を踏み外し、自分が目指している所から大きく反れていくことを考えると大きなことでもないように思います。
注意されたり怒られたりすると気持ちは必ず下がります。それ自体に間違いはありません。腹も立つだろうし悲しい気持ちにもなるように思います。
だから、それを受け入れない選択もありだと思います。
でも、その注意や怒られていることを無視してしまうのは違うように僕は考えています。無視するのではなく「一度立ち止まる」ことは必要になると思っています。
一度立ち止まることで、「このままでいいのか?」や「自分は出来ているのか?」と考えることに繋がるからです。
言われたときに「なんか言うとるわ。」と悪態をつくだけではそこに成長はありません。「一度立ち止まる」ことこそ自分の成長に繋げる思考になるのだと僕は思っています。
誰からも注意されたり怒られたりすることがほぼなくなってきた僕。そんな僕も「一度立ち止まる」ことは意識的に行っていこうと思います。それくらいなら出来るように思います。
大きな決断をする時だけではなく、普段の何気ない場面でも「このままでいいの?」や「ホンマに出来てるの?」と一度立ち止まることで、自分の目指すべき場所に向かう道が大きく反れることがないように思います。
そのためには、常に立ち止まることが出来る「心の余裕」を持つことと、立ち止まった時にしっかりそのことと向き合うことが出来るような「整理・収納」を徹底して行っていきたいと思っています。