整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

なかなか整理出来ないこと

昨年の2月から「整理・収納アドバイザー1級」の資格を取るために勉強を始めました。

そして、9月にその資格を取得し、そこから大きな活動をすることはありませんでしたが、日々「整理・収納」活動をしたり、自分の思う「整理・収納」や自分の考える「整理・収納」のことをこのブログに綴ることで自分の中での「整理・収納」を深めることが出来てきました。

「整理・収納アドバイザー」として本格的に活動している先輩方と比べると、ひよこにもなれていない僕ではありますが、僕なりの「整理・収納」を持つことが出来るようになってきています。

「整理」とは必要なモノだけにすること。

「収納」とは定位置を決め、モノを使いやすくすること。

「整理・収納」は「整理・収脳」に繋げるために大きな役割を果たしていること。

そして何よりも「心地良く毎日を過ごす」ために「整理・収納」は欠かせないモノだということが僕の中で確立してきているように思います。

身の回りがモノで散乱している状況では「心地良いな~。」と感じることは出来ません。頭の中がたくさんのモノで溢れかえっている状況では「心地良いな~。」と感じる余裕を持つことは出来ません。

「整理・収納」は全てそこに繋がっていて、モノが散乱しない状況を作ることで、視覚から入ってくる情報量を少なくし、頭の中に入ってくるモノの量をコントロールすることに繋がるように思います。

こういった思考になってきたことで、僕の中では日々の生活の中で後悔する気持ちが少なくなってきているように思っています。

「こうしておいたら良かった。」や「なぜあんなことしたのだろう。」なんて思うことが減ってきているような感じです。

「整理・収脳」されていることで、冷静にその状況を見ることが出来るようになってきているのだと思います。

常に頭の中は必要なモノだけで、どこに何があるか「収脳」されていることで余裕を持って考えたり行動したりすることに繋がっているように思います。

そういった状況になることで、自分のペースで働くことができ、自分にとっての心地良い時間をたくさん取ることが出来るようになってきます。

僕が鈍感でただの無神経な人なだけかもしれませんが、家に帰ってから仕事の事でネガティブな考えを持つことはほぼありません。

仕事のことを考えたとしてもポジティブなことばかりで、考えながらも「心地良いな~。」と思いながら過ごすことが出来ています。

そんな感じになってきている僕ではありますが、ただ一つだけ後悔の気持ちを持ち続けていることがあります。

それは「息子への関わり」に関してです。

別に毎日暴力をふるったり、暴言を吐き続けるようなことをしてきたわけではありません。世間で騒がれている虐待といったことをしてきたわけではありません。

息子二人には愛情を持って接してきたし、大切に思っている気持ちに嘘はありません。

大きくなった今でもその気持ちは変わっておらず、僕にとっては何にも代えることが出来ないかけがえのない大切な存在です。

現在大きな負担を抱えさせてしまっていることも一つの要因かもしれませんが、そういった事だけではなく、今までの関わりの中で「もっと出来たのかな~。」や「どうしてあんな怒り方をしたのだろう。」ということがいつまでも残っているような感じです。

息子に対して以外に関しては、こういった後悔を引きずることはほぼなくなっている僕なのに、息子二人のことに関してはいつまでも後悔を引きずっている感じです。

それは大切過ぎて「整理・収脳」が上手く出来ていないのかもしれないとか思ったりもしています。

もしかしたら、大切な存在過ぎて慎重になり過ぎているのかもしれません。

仕事で関わる人や友人との関りの中でも後悔するようなことはたくさんしてきました。でもそれに対しては上手に「整理」することが出来てきているように思います。

良い意味で無神経でいられることで、自分の事を大切に出来ているのだと思います。

後悔していることを「整理」することで、いつまでもくよくよすることなく、ポジティブな思考に持っていくことが出来ているのだと思います。

ただ息子二人に関しては大切に思い過ぎて、自分のことよりも息子二人のことを優先しているのだと思います。

自分が「心地良いな~。」と思えることよりも「あんなこと言ってどんな気持ちになっていたのだろう。」や「もっとたくさんのことをしてあげれば良かったな~。」なんていうことが頭の中を支配しているような感じだと思います。

この感情は「整理」すべきことなのか「持ち続けるべき必要なモノ」なのか僕にとって大きな存在になっています。

「整理・収納アドバイザー」として、こういったことに対しても判断できるようになりたいと思います。

そのために、「息子との関り」という大きな存在ともじっくり向き合い続けていこうと思います。