整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

スイッチが入った1年間

10歳で初めて悔し涙を流し、何かのスイッチがONになった5年生の5月。

そんな僕の様子を見ていたであろう両親。

きっと両親なりにチャンスと思ったことだろうと思います。

それまで何に対しても一生懸命でない次男坊の僕のことは心配の種だったように思います。

学校の行事や委員会活動などでも積極的に活動していると担任から聞かされている兄に比べ、次男の僕はそういった話は担任からほとんどなかったのではないかと思います。

懇談の際には、宿題が継続的に提出できていない、忘れ物が多い、授業中に違う世界にいる、友だちと上手く学校生活を送ることが出来ていない、などの話をされていたのではないかと思います。親からすると心配の絶えないバカ次男坊だったように思います。

そんな僕が悔し涙を流しているのです。両親に真意を聞いたことはありませんが、その時くらいから僕に対する関わり方が少し変わったような印象を受けます。

まず、学生時代に体育会系で育ってきた父。当時も体を鍛えることも仕事の一部のような職に就いていました。そんな父から「一年後に向けて一緒にトレーニングしよう。」と提案を受けます。

また母からは、食事に関してうるさく言われるようになってきます。それまでの僕はたくさんの量を食べるわけでもなく、早く食べ終えて自室でゲームをすることばかり考えていました。出来るだけ量を少なくして、さっさと食べ終えてドラクエのレベル上げをする。そんなことばかり考えていました。

しかし、「最低これだけは食べる」というノルマを決められ、それを食べ終えるまで自室に行くことは許されない環境になっていました。

父とのトレーニングは始めは、腕立て伏せと腹筋をする程度でしたが、徐々にその負荷も増えていきます。

「公園に走りに行こう」が加わり、車で20分ほどの相撲クラブが管理している土俵まで行って「四股を踏もう」が加わり、「すり足もしておこう」が加わり、父に胸を借りて「ぶつかりげいこをしよう」とどんどんやることが増えてきます。

どこから聞いてきたのか、平日でも稽古をしている相撲クラブに出稽古に行ったり、他県の高校の相撲部で一緒に稽古をさせてもらったりもしました。

小学生の僕であったため、言われるまま取り組んでいたような感じでした。

もうそこには自分の意志でスイッチをONにしているとかOFFにしているとかはなかったように思います。ただただ、目の前にあることに必死になっていただけになっていたように思います。

ただ、悔しかったことだけは忘れていなかったように思います。もう一度あのバカでかい同級生と相撲を取って勝ってみたい。そんな気持ちはずっとあったように思います。

そして、もう一つ。「スーパーファミコンが欲しい!!」という強い気持ちもありました。当時の我が家には「スーパーファミコン」はありませんでした。

しかし、1年後の大会で優勝したあかつきにはその「スーパーファミコン」を買ってやるという約束をしたのです。厳格な父からの許しということもあったので僕や兄からすると大きなチャンスです。

毎日のようにケンカをしていた兄からも「頑張ってくれ」と夢を託されます。

そんなよこしまな気持ちがあったことも僕の頑張りの大きな支えになっていました。

そして、6年生になるころには所属する相撲クラブでは無敵の僕に変貌を遂げているのでした。父とのトレーニングにより僕は小学生ではあり得ないくらいムキムキなマッチョマンになっていました。

また、母からの食事のサポートのおかげで体も大きく成長しています。身長が165cmまで伸び、体重も60kgになっているのです。全国大会の公式資料にもそのように載っているので間違いない事実です。

1年前まではもやしのような少年だった僕が、1年後にはごつごつした青年のような体に変わっていたのでした。もう小学生の体ではありませんでした。まじかるタルるートくんに登場する「原子力」みたいな体つきになっていました。

そして1年がたった6年生の5月。1年前と同じように「全国大会地区予選」に挑むことになります。

1年前とはずいぶん様子が変わっています。もちろん体つきが大きく変わっていたのもありますが、一番変わったのは大会に挑む気持ちだったように思います。

休日に学校外の友だちと過ごすことに喜びを感じていたぼくちゃんの姿はもうそこにはありません。「優勝してやる」や「あいつに勝ってやる」という強い意志を持った僕の姿がそこにはあったように思います。

1年前に悔しい思いからスイッチがONになった経験をすることになった僕。そのスイッチを切ることなく1年後に同じ場所に立てた経験は、今の僕を支えてくれている大きな経験になっています。

きっと結果が良かろうが悪かろうが僕にとっては貴重な体験になったように思います。

それは両親の支えや兄のよこしまな気持ちからの応援があったから実現したことだと思います。きっとその支えがなかったら、1年間という長い時間スイッチをONにし続けることは出来なかったように思います。

たくさんの支えにより、この日を迎えることが出来たのでした...。