整理収納アドバイザー ポレポレ日記

40代 おじさん整理収納アドバイザー

教師を目指したきっかけ

僕は今の職に就く前は営業をしていました。

主に個人ではなく企業に営業を行い、販売から納品までの業務を担当していました。

商品の幅も広く、ある程度の知識も必要とされていたため、商品の提案や納品の打ち合わせに苦労していたことを今でも覚えています。

その提案や打ち合わせを終えて事務所に戻るのが夜になってから。そこから資料作りや会議などがあり、それを終えて家に帰るのが22時を回る。そんな毎日を過ごしていました。

充実していると言われれば充実した毎日だったのかもしれません。僕なりに「この世界で生きてやる。」という強い気持ちを持って毎日仕事と向き合っていました。「この世界で一番になってやる。」なんて気持ちも持っていたようにも思います。(何を持って一番なのかよく分かりませんが...。)

とにかくがむしゃらに目の前にある仕事と向き合い、一つ一つをぎりぎりでこなしていくような、そんな毎日を過ごしていました。

そんな営業マンだった僕は、今教師をしています...。

自然の成り行きやいつの間にか教師になっていたというわけではなく、教師を目指そうと思ったのにはそれなりの理由や思いがありました。

営業が嫌になったという事が大きな原因だと思います。半分以上はそれだと思います。激務にたえられなくなり、そこから逃げ出したと言われればそうなのかもしれません。というか僕は逃げ出しました。心の弱い人間です。

ただ、営業をしながら感じた矛盾や理不尽を「子どもたちに伝えたい」と思ったのも教師を目指そうと思った理由の一つであることも事実です。

特に、二つ目に勤めた会社での生活でそういった事をたくさん痛感することになりました...。

僕は営業マンとして二つの会社で働いていました。

一つ目の会社は300名前後の社員を抱えるいわゆる中小企業です。小さな会社だったかもしれませんが、独自の開発のノウハウがあったり、大手にはない小回りの良さなどがあり、それなりに顧客から大切にされる存在の会社でした。(ボーナスで毎回のように経営者から小言を言われていた例の会社です。)

顧客の対象になる層も、どちらかと言えば同じ規模の中小企業が多く、関係性を上手に築いていけばそれなりに継続して注文を貰える会社でした。

大変な事もたくさんありました。大声で怒鳴られたり、マウスを投げられたこともありました。しかし、お客さんとの関りの中ではどこか温かみがあり、人情が溢れる昭和の香りがするような営業生活を送れていたように思います。

嫌なこともたくさんありましたが、たくさんの経験を積ませてもらえたことや、成長させてもらえたことに関しては今でも感謝の気持ちを持っています。

そんな一つ目の会社では6年間お世話になり、その後二つ目の会社に転職することになります。

二つ目の会社は、世界各国にグループ会社があり、社員も全グループを合わせると2万人以上を抱える会社でした。いわゆる大企業です。一つ目の会社での功績が認められ、引き抜かれる形で入社することになった会社でした。

当時の僕は今考えると調子に乗っていたように思います。一つ目の会社で運よく良い顧客の担当に回してもらえたことを自分の実力と勘違いし天狗になっていました。

対した実力もないくせに調子に乗る若造。今もし僕の前にいたとしたら後ろ回し蹴りをお見舞している所だと思います。それくらい調子に乗っていました。

そんな僕でしたが、この二つ目に入社した会社でたくさんの挫折と経験を積んでいくことになります。

結論から書くと、僕はこの会社には1年も在籍することはなく、10ヵ月という短い期間しか働いていません。

というのもたくさんの矛盾を感じ、たくさんの理不尽に耐えることが出来なくなったからです。

僕の弱い心が原因なのかもしれませんが、今思えばそういったことに染まらなかったことに関してだけは自分も捨てたものではないなと感じています。

精神的にも追い込まれ、たくさんの悩みを抱えていたこの時期の僕。本当にやばい状態だったように思います。高速道路を営業車で走り、「このままガードレールを突き破り、走り抜けたらどうなるんだろう...」なんて怖いことがよぎったこともあったくらいでした。(笑)

でも、僕なりに自分の生き方や自分の大切な事と向き合った結果、この大きな会社を辞めることを決断し、教師を目指すことにしたのです。

僕なりに「整理・収納」をしたのだと思います。自分にとって必要なモノは何なのか、本当に大切にすべきことは何なのか。そういった事を追い込まれた状態の中で「整理」したのです。

ギリギリの所でしたが、この時の僕なりの「整理・収納」がそこにはあったように思います。そしてそれが今の僕に繋がっているように思います...。