僕は今教師をしています。
過剰に『自分は教師だ』と意識する事はせず、肩の力を抜いて教師という仕事に向き合いたいと思っています。
教師も数ある職業の一つとして考えており、特別な職業だとは考えてはいません。
人と関わるという面ではどの仕事も同じだと考えており、「教師だから」と過剰に意識するのではなく、肩の力を抜きながら仕事に向き合いたいと考えているのです。
企業に勤めていた時は営業をしていました。
たくさんの人と関わる中で、たくさんの人の考え方に触れ、たくさんの価値観と出会う事が出来ました。
学生時代に、同じような趣味趣向を持った集団に属していたのとは違い、様々な価値観を持った集団に属する事に、戸惑いや悩みをたくさん抱えてきたように思います。
営業先のお客さんからは無理な事を言われたり、事務所に戻ると上司や先輩からお𠮟りを受けたり、たくさんの壁にぶつかってきました。
もちろん、たくさんの人との出会いの中では、素晴らしい人との出会いがあったり、尊敬すべき人との出会いがあったり、僕にとってプラスになる事もたくさんありました。
でもそんなのは一握りで、人との関わりの中では、ストレスを感じたり、負担に感じる事がたくさんあったように思います。
当時はあまり考えていなかったかもしれませんが、当時の僕はいつもイライラを抱えていたし、いつもしっくりこない何かを抱えていたように思います。
当時は気付けていなかったけど、当時の僕は生活の中に心地良さなんて感じていなかったと思います。
それは恐らく、未熟な自分に原因があったのだと思います。
思い通りにいかない...
自分の思いが伝わらない...
我慢ばかりしている...
そんな思いをたくさん抱えていました。
確かに、環境も良くなかったのかもしれません。
当時勤めていた会社は、間違いなく今で言うブラック企業だと思います。
残業代も出ないのに、夜遅くまで働くのは当たり前という空気があったし、休暇を取る事は悪い事だという空気があった会社でした。
上司に休日出勤の振り替え休暇の申請をしたときには...
『理由は?』なんて聞かれ、
『用事がります。』と伝えると、
『だったらいいけど、ただ単に休むだけは良くないよ。』なんて言われていました。
決められた休みの日に休むことが出来ず、その代休を取るための申請に理由は必要なのでしょうか。
仮に理由がなかったとしても...家でゆっくりするという理由だったとしても、それは立派な理由になるのではないかと思ったりもします。
当時の僕はそんな気持ちをたくさん抱えていました。
いちいち、一つ一つに「なんでやねん!!」と思っていられなかったし、そんな事にいちいちかまっていられないくらい忙しい毎日でした。
自分のイライラやモヤモヤの気持ちにかまう事が出来ない状態で、とにかく何かしっくりこないモノを抱え続けている状態でした。
それが20代の頃の僕です。
今思えば人生の中の一番の暗黒の時代で、最もたくさんの悩みを抱え、最も生活が乱れていた時期でした。
そして今思う、自分の事が一番嫌いな時期だったように思います。
仕事で認められたい...
尊敬されたい...
楽しく過ごしたい...
そんな事ばかりを考えていたし、そのためには周りの人なんかどうでも良くて、自分の事だけを考えていた時期でした。
そんな自分には魅力なんて何もなかったように思うし、今思い出しても「はぁ~」とため息が漏れてしまうような自分だったと思います。
そんな当時の僕なんかと一緒に食事に行ったり、旅行に行ったりしていた友人は本当に立派だと思うし、凄く成熟していた人たちなのだなと思ったりしています。
そんな僕だったのは、様々な要因があったのだと思います。
僕のそもそも持っている人間性に問題があったのかもしれないし、
僕の生育環境に問題があったのかもしれないし、
生きていく中で、何か大きな出来事があったのかもしれないし、
社会の環境が良くなかったのかしれないし、
自分では気付けていない、小さな積み重ねがあったのかもしれません。
その積み重ねが当時の僕を作り上げていたのだと思います。
それは結局、自分が未熟だという事に繋がってしまうのかもしれないけれど、とにかく20代の頃の僕はたくさんの悩みを抱え、自分の事が好きでない時期だったのでした。
とにかくたくさんの不満を抱えていたし、その不満からくるイライラやモヤモヤをたくさん抱えていたのでした。
今の僕はそうではありません。
別に人として魅力的になったとかという話ではありませんが、20代の頃に比べると、ずいぶん楽に生きる事が出来るようになっています。
それはやはり、肩の力を抜いて生きようと思えているのが大きいだろうし、どんな事にも肩の力を抜きながら向き合う事が出来ているからだと思います。
冒頭にも書いた通り、今僕は教師をしていますが、教師だからと言って肩肘張らずに仕事に向き合うようにしています。
もちろん教師という立場もあるので、ある程度は子どもたちの見本になるような生き方をすべきだと思ったりもしますが、それは教師だからではなく、一人の人としてすべき事だと考えています。
「先生だからこうあるべきだ。」なんて考えはあまり持っておらず、一人の人としてどうあるべきかを考えるようにしているのです。
過去の僕は、会社の方針や社会の風潮に流されている自分だったように思います。
そんな流されていた自分だったから、たくさんのイライラやモヤモヤ、しっくりこない何かを抱えていたのだと思います。
そんなたくさんのモノを抱えている自分が好きではなかったのだと思います。
でも今は違います。
所属する組織の方針や社会の風潮に流されることなく、自分が思う本当に必要なモノだけを抱えて生きる事が出来るようになってきました。
だから心に余裕を持てるようにもなって来たし、心地良いと感じる時間をたくさん取る事が出来るようになっているのだと思います。
今の僕は過去の僕と比べると、少しは自分の事を好きと言えるようになりました。
これからもっと自分の事を好きになれるように、自信が持てるように、生きていきたいと思っています。