学校生活の決まりにある「名札を付ける」事は必要ないと考えています。
それは僕だけでなく、教室にいる子どもたちもそう考えているのではないかと思っています。
というのも、たくさんの子どもたちは、言われないと名札を付けないし、返さないからです。
本当に必要だと思う事やしないといけないと思う事に関しては、子どもたちは自ら進んで取り組みます。
僕たち大人はそんな子どもたちの「したい」や「しないといけない」と思える事を引き出すべきだと考えないといけません。
逆に名札のように、子どもたちの「したい」や「しないといけない」を引き出す事が出来ない事は、なくしていくべきではないかと思います。
正直、名札を付ける事に関しては子どもたちの「したい」「しないといけない」を引き出す事に難しさを感じているし、苦しさを感じています。
一応僕も教師という事もあるので、クラスの子どもたちには決まりは守るように指導はします。
矛盾を感じているからといって、「良く分からない決まりなんかクソくらえや~!!」なんて言えるわけもないし、学校という大きな組織を回していくためには、決まりを守る事は大切な事だと考えています。
必要ない決まりだと思うのであれば、正しい手順の元、その決まりをなくせば良いのです。筋は通さないといけません。
だからとりあえずは「名札を付ける」という決まりに関しては、今年度は根気よく指導していこうと考えていました。
もしかしたら、指導している中で名札の必要性を感じる事があるのかもしれません。
もしかしたら、大した指導なんかしなくても、名札を付ける事が定着しており、大した負担にならないのかもしれません。
そんな事を考えてはいましたが、今年度の終わりを迎えようとしている3学期になっても、子どもたちは言われないと名札を付けないし、返さない状況なのです。
僕自身も、相変わらず名札の必要性を感じる事は出来ていません。
となると、やはり名札は必要ないモノなのではないかと考えてしまいます。
僕は日々の生活の中で「整理・収納」を大切にしています。
僕の考える「整理」とは、必要なモノだけにする事です。
僕の考える「収納」とは、モノの定位置を決め、モノを使いやすくすることです。
「整理」を行う事で、身の回りは必要なモノだけになり、その必要になったモノの定位置を決める事で、その必要になったモノを使いやすくすることが出来ます。
必要なモノは厳選する必要があります。
多すぎると「収納」するのに工夫が必要になるだろうし、本当に必要なモノが見えにくくなります。
モノが多い事で、一つ一つのモノに対しての思いも薄れててしまうだろうし、自分が所有する総量を把握しずらくなってしまいます。
だから、自分の生活スタイルとしっかり向き合い、それを理解した上で「整理」を進めていくべきなのです。
それは家での生活だけでなく、職場での生活も同じで、僕は4月から始まった教室での生活と9ヶ月以上向き合ってきました。
そして、その向き合う中で、名札が必要ないモノなのではないかと思っているのです。
僕なりに子どもたちの教室での生活スタイルを分析した上で、名札の「収納場所」を決めています。
なるべく無駄な動きが無いように、収納場所を考えたし、子どもたちが「名札しないと!!」「名札返さないと!!」と思える場所を収納場所にしています。
それは僕なりに、子どもたちの生活スタイルと照らし合わせた「収納場所」を設定したつもりだし、名札を付けるための「環境」を整えたつもりです。
しかし、それでも名札を付けない、名札を返さない子どもたちが3学期になった今もたくさんいるのです。
そして、必要だと感じてもらえる話も何度かしてきたつもりです。(かなり無理やりな話をしてきたかもしれませんが...)
僕なりに、子どもたちに名札を付ける必要性を感じてもらえるように話した内容は以下の通りです。
- 名札が必要ないと思っている人がいる事は分かっている。なんだったら担任も若干必要ないと思っている。(本当は若干ではありません。話す事は逆効果になる事もあるかもしれませんが、歩み寄る事も大切だと思って話しました...。)
- 世の中には納得できないことでも、それを守らないといけないシチュエーションがたくさんある。
- やりたい事が出来た時、そればかりをする事は出来ない。嫌だと思う事でもしないといけない事はたくさんある。
- 学校での生活は1人での生活ではない。言わば社会生活の一つ。決まりを守る事はその社会生活を心地良く過ごすためにはある程度必要である。
だいぶ無理のある話ばかりですが、僕なりに苦しみながら絞り出した話は大雑把に言うとこんな感じでした。
イチローさんは会社で働いている人の事を尊敬していました。
それは、
プロ野球選手として自分の好きな事を仕事にしている自分ですら、したくない事や嫌だと思う事をしないといけない場面がたくさんあった。
であるならば、大して好きでない事を仕事にしている人はどれだけの我慢をしているのだろう。毎日そんな我慢と戦っている人の事を尊敬する。
という話です。
子どもの頃からの夢を叶える事が出来たイチローさんでも、したくない事や嫌だと思う事はあったのです。
であるならば、名札を付けるという小さな事くらいは乗り越える事が出来る人間になろうよという話をしました。
どうでしょう...かなり苦しい状況だと思いませんか?
話しながら「苦しいな~...。」なんて思っている自分もいます。
ドアに付けている名札ケースに「名札の管理は夢への第一歩!!」なんて書いたりしていますが、かなり無理やりな話だと自分で思っています。
もしかしたら、そんな無理やりな話を聞いて、名札の必要性を感じている子もいるのかもしれませんが、意外と子どもたちはするどく、大人の「無理やりな話」には気づいているものなのです。
だから、3学期になった今でも名札を付けないし、名札を返さない子どもがたくさんいるのです。
「収納」する場所を分析し工夫したとしても、「環境」を整えたとしても、そこに「必要性」を感じる事が出来ない事は「整理」すべき事なのです。
だから僕は来年度からは名札をなくすべきだと考えているのです。
こういった考えを伝える事で、自分や子どもたちにとっての心地良い環境を整えていこうと思います。
本当に必要なモノだけに囲まれ、本当に必要なモノだけを抱える事が出来るように「整理・収納」を進めていきたいと思っています。