今日は映画を見に行ってきました。
見たのは...
「夢見る校長先生」です。
大々的に宣伝されている作品という訳ではなく、僕も今の仕事をしていなければ見る事がなかったであろう作品です。
内容的には、学校で様々な改革を行っており、その取り組みを紹介する、言わばドキュメンタリー映画です。
映画の批評家でもなければ、たくさん映画を見てこなかった僕が偉そうな事を言える訳でもないのですが、何となく感じた事を今日は綴っておこうと思います。
まず、見終えた後に一番感じたのが、
「当たり前にある事に囚われず、一つ一つの事とじっくり向き合っている」という事です。
・通知表をなくす。
・宿題をなくす。
・校則をなくす。
様々な当たり前をなくすために、一つ一つと丁寧に、じっくり向き合っていると感じさせてくれる場面がたくさんあったのです。
その一つ一つは、ただ「面倒だから」や、ただ「負担を減らすため」という理由だけでなく、何よりも子どもたちや教員の事を考えた上で、じっくり向き合う事を通してなくしていった取り組みだったのです。
何となくですが、僕が大切にしている「整理・収納」の考えにも通ずるものがあるのではないかという事を感じました。
僕が考える「整理」とは、必要なモノだけにする事です。
その「整理」を行う際には、そのモノとじっくり向き合う事を大切にしています。
・そのモノは本当に必要なモノなのか。
・そのモノを生かすことが出来るのか。
・そのモノは自分の生活スタイルに合ったものなのか。
こういった視点を持ちながら、一つ一つのモノとじっくり向き合う事を大切にしているのです。
ただ何となく「いらないかな...」や「もういいや...」と思って必要ないモノだと判断するのではなく、じっくり向き合いながら判断するようにしているのです。
そうしないと、本当に必要なモノだけを抱える事は出来ないだろうし、モノと自分との関係を良くする事なんて出来ないと思っています。
そして、心地良いと感じる事が出来る暮らしを手に入れる事が出来ないと思っています。
今日見た映画に出てくる学校での取り組みは、今ある当たり前とじっくり向き合い、必要なモノだけを残す取り組みをしていました。
通知表をなくした学校では、本当に必要なコトは何なのかをじっくり考え、今の子どもたちに合った教育は何なのかという事とじっくり向き合い考えていました。
子どもたちに自信を持たせるために何が必要なのか...。
子どもたちが来たくなる学校にするためには何が必要なのか...。
はたまた、その子どもたちに合う教育とは何なのか...。
そういった事とじっくり向き合った結果、通知表というモノが不要だと考え、「なくす」という選択をしたのです。
ただ単に「教員にとって負担だから」や「周りと合わせておいた方が無難だろう」といった思考はそこにはなく、本当に必要なモノだけにしたいという思いが溢れているように感じました。
そしてそれは、通知表をなくした学校だけに限らず、宿題をなくした学校の取り組みや、校則をなくした学校の取り組みでも同じことが言えるように思いました。
ただ「なくす」という判断を何となくしたのではなく、じっくり時間を掛けながら向き合った上での判断だったのです。
きっとそこには妥協はなかっただろうし、何よりも「子どもたちのために」という「そもそも」を見失うことなく向き合う事が出来ていたのだと思います。
だから、良い成果を上げる事が出来ているのだろうし、映画を通してたくさんの人の心に響く取り組みを行う事が出来ていたのだと思います。
僕が考えている「整理・収納」では、モノの管理を徹底する事により、思考の「整理・収脳」にも繋げたいと考えています。
モノが少なく、モノが散乱していない状況の中で、心を落ち着かせ、心に余裕を持ちながら当たり前にある事と向き合えるようにしたいと考えているのです。
学校や社会には、「あって当たり前」だと思ってしまっているモノやコトがたくさんあるのだと思います。
本当は必要ないモノやコトなのに「あって当たり前」だという思考を持っている事により、その無駄に気付くことが出来ていないのだと思います。
だから僕はそういった「あって当たり前」にも気付けるような環境を、「整理・収納」を通して整えていくべきだと考えているのです。
今日見た映画に出てくる学校では、そういった事に気づけるような思考を持つことが出来ていたのだと思います。
それは学校だけに限らず、社会の様々な場面でもたくさんある事だと思うし、それに気づけるような思考を持つことが大切なんだと思っています。
そういった思考を持つことが出来るように、「整理・収納」で出来る事はたくさんあると僕は思っているし、「整理・収納」を大切にすべきだと思っています。