2021年の5月、僕は前に住んでいた家を出ました。
2人の子どもたちには本当に申し訳ないという思いを抱えながら、子どもたちの住む家を後にしたのです。
最後の最後まで、家族でいれるように、子どもたちの近くで父親でいれるように、踏ん張っていたつもりでしたが、それでも限界まできていたのです。
何度も話はしましたが、僕が出て行くしか選択肢を与えられなかったし、それが1番の方法だと何度も話されました。
その話をしていたのは僕だけではなく、当時6年生だった長男にもしていたようで、それを知った事により我慢の限界まで来てしまったのです。
家を出てから後4ヶ月程で3年が経ちますが、2人の子どもに対する罪悪感が無くなった事は一度ないし、申し訳ない気持ちが消えた事も一度もありません。
本当だったら近くに居てあげるべきなのに、それが出来ていない事に悲しさと悔しさを抱えているのです。
そんな僕ですが、薄情なもので、今は別の人との生活が始まっており、それなりに毎日を楽しく過ごしています。
もちろん2人に対する思いが薄れた事は一度もありません。
何かあった際には、いつでも相談に乗りたいと思っているし、いつでも会いに行きたいと考えています。
今一緒にいる人も恐らくそれを理解してくれているようだし、それがいつでも出来るようにしておきたいと考えています。
そんな新たな人との生活が始まっているのですが、それまでの間の1人の時間もそれなりに充実していたように思います。
早寝早起きを徹底し、それとともに早退社も徹底する事が出来ていました。
僕はそれを3つのEarly(アーリー)という事で、3Eと呼んでいます。
過去の僕はその3Eを徹底し、それを自分にとっての心地良い時間に繋げる事が出来ていたのでした。
朝4時に起きてからシャワーを浴び(冷水も浴びていました。)、髪をドライヤーで乾かしながらコーヒー用のお湯を沸かします。
そして、髪を乾かし終えたタイミングでちょうど良い具合にお湯も沸いており、その流れのままコーヒーを淹れます。
そして熱々のコーヒーとチョコレートを口に含みながら、本を読んだり、ブログを書いたり。
もちろんその時間ラジオは欠かせません。
そして5時半には家を出て、ヘッドホンでラジオを聴きながら、だいぶ先にあるバス停まで30分ほど歩いてバスに乗って職場へ向かう毎日を過ごしていたのでした。
ほぼ毎日そんな朝を過ごしていたし、そんな朝の時間に充実感を感じていました。
僕が毎日定時で帰れるのは、そんな充実した朝の時間を過ごせているからだろうし、朝のその時間が一日の良いウォーミングアップになっていたのだと思います。
そしてそんな朝の過ごし方を2年半ほど続けて来たのですが、今の僕はそんな充実した朝の時間を過ごす事が出来ていないように思います。
誰かと過ごすというのは、自分のペースだけで生活できる訳では無いという事だと思うし、それなりに相手に合わせる事も必要なんだと思います。
今の僕であれば、通勤は彼女を送り迎えしている事もあり、バス通勤からバイク通勤に変わったし、
すぐ横で彼女が眠っていることからも、ラジオを聴きながらパソコンでブログを書く事も出来なくなっています。
出来たとしても、精々ヘッドホンでラジオを聴きながら、テーブルライトを付けながら本を読む程度になっています。
やっている事は対して変わらないのかもしれないけれど、それでも何か微妙に感じるし、気を使いながら朝の時間を過ごしているように思います。
別に我慢しているとかまでは思ってはいません。
それ以外の場面ではたくさんの幸せを感じる事が出来ているし、たくさんの楽しい時間を与えられていると思っています。
1人の時には味わえないような時間が今はあるのだと思います。
ただ、1人の時にはその時の良さもあった訳でそれはそれで良い思い出になっているようにも思います。
今が幸せで、過去が不幸せだった訳でもないし、
今が不幸せで、過去が幸せだった訳でもありません。
いつでもその時を全力で生きていれば、その時にはその時の幸せがあるのだと思います。
だからこれから先、今が良かったと思えるように、今を精一杯生きたいと思います。
今の幸せが未来でも輝いて見えるように、今を全力で生きていこうと思います。